セサミー・ストリート


NHKの朝のラジオ番組にニュース・アップというコーナーがある。内容は、識者の電話インタビューである。このコーナーの時間が約7分30秒である。アナウンサーによる話題の導入などもあるので、識者の方が実際にしゃべる時間は7分である。この時間が決まった経過は知らないが、7分30秒というのは不思議な時間である。短いようであるが、実際に話してみると、かなり長い。それなりの内容は伝えられる。だが、それ以上の詳しい話はできない。これが話す側が受ける感覚である。逆に聞き手の立場からの感覚では、朝の忙しい時間に集中して聞ける時間としては約7分が限度だろう。つまり普通の話術では、7分以上も興味を引き留めるのは難しい。


テレビでも同じだろうか。視聴者の集中は7分程度で切れてしまうのではないだろうか。学生の頃、英語の勉強のためにアメリカの子供向け教育番組の『セサミー・ストリート』を見ていた。子供は集中力が続かないという前提から、頻繁に場面や話題が変わる作りになっていた。大人は大きくなった昔の子供であるから、やはり集中力は長続きしない。との前提に立てば、テレビ教材でも時々は画面を変える必要がある。しかし、どうやって画面を変えるのか?様々な素材によってである。つまり写真、音楽、グラフ、コンピューター・グラフィックス、そしてVTR映像である。講師の姿から写真やグラフやVTR映像に画面が変われば、見ている方の興味が続く。その頻度は、恐らく7分に一回ぐらいは欲しい。45分の番組であれば、最低でも7回は画面を変える必要があるだろう。


VTR映像という魔物


それでは、どの素材を使うか。それは内容次第である。しかし、内容が許すのならば様々な素材を混ぜたい。その方が視聴者の興味も続くだろう。たとえば写真である。写真は動かないが人の感情に訴え、結局は政治さえも動かす。筆者の専門の国際政治に引き付けると、アメリカ軍による村民の虐殺の写真や、南ベトナム政府高官が解放戦線側の捕虜を銃殺する場面の写真は、「こんな戦争を、とても支持できない」と人々に思わせ、アメリカの世論を動かす程の力を持った。またイラクの話題であればアメリカ軍による捕虜収容所でのイラク人の虐待の写真は、世界のイラク戦争認識に大きな影響を与えた。写真という動かない映像の人を動かす力に注目したい。


またグラフや地図も捨てがたい脇役である。感心しないのが表である。詳しいデータの表を出して延々と説明する講義は、見る方が辛い。たとえば民間放送の番組を見ていて詳しい表を見る事はない。表では視聴者が見てくれないと制作サイドが認識しているからだろう。表を出すよりは、その表が示すポイントを選びグラフにしたい。


写真、グラフ、コンピューター・グラフィックスと画面を変える手段は多々ある。しかし、一番力強いのは、やはりVTR映像である。VTR映像は素材の主役であり四番打者である。だが同時に、VTR映像を使うには、難しさもある。それは音声の問題である。VTRに入っている音声を、そのまま使う際には、講師は黙っていれば済むので、ありがたい。また映像に合わせて音楽を流すのも助かる。そうした際には、映像が流れている間にスタジオのフロア・ディレクターと打ち合わせをしたり、水を飲んだりできる。しかし、映像に合わせて何か話す必要がある場合は大変である。映像の流れに合った解説が求められる。事前の準備が不可欠である。時間を計り、時間と内容にマッチしたセリフを考え、映像に合わせて話す練習が必要になる。VTRの編集機の前にすわりストップ・ウオッチを使っての作業が求められる。


技術的な面を越える課題もある。それは、VTR映像というのが声の大きな存在だからである。映像そのものが強い自己主張を持っている。そのため、引き立て役のはずのVTR映像が、主役の講義を食ってしまう恐れがある。先にVTR映像は主役で四番打者と呼んだが、それは素材の中の主役で四番打者であり、番組の中心ではない。番組の主役は講義であり、四番打者はそのテーマである。しかし視聴者の脳裏には映像の印象ばかりが残り、講義のテーマが浸み込まない。そうした懸念がある。


対策はただ一つ、VTR映像の力に負けないくらいの骨太な講義である。何が骨太な講義を作るのか?端的に言って詳細の割愛である。45分というテレビ番組の枠内での詳細な厳密な議論は困難である。強く主張したいテーマのみにテレビの講義では焦点を合わせ、但し書き的な詳細は印刷教材に担わせるなどの役割分担がひとつの手である。VTR映像は講師を助ける振りをしながら、実は講義を食ってしまう魔物的な存在である。その魔物の歯が折れるくらいの太い線の講義で対抗したい。


*放送大学では、新たにテレビ番組を制作する講師のためのハンドブックを準備中です。その原稿を依頼されて、映像の利用について、したためた草稿です。