【教養についての懐古趣味的な補足】 | モノゴトをオモシロくスルドく見る方法「かふてつの方丈記 」

モノゴトをオモシロくスルドく見る方法「かふてつの方丈記 」

  
How to look everythings essentially
or
Everythings gonna be alright

前回の続きです。

 

私(54歳)が会社に入社したての頃、私より30歳以上の部長クラスの人はみんな結構インテリでした。例えば「現象学的還元」なんて言葉が日常会話の中で普通に出て来ていました。あと「管理職はノブレス・オブリージュを持たねばならない」とか、「オッカムの剃刀」とか普通に言っていました。


某社のシステム部門だったので、変わった人ばかり集まっていたのかも知れません。


しかし年が若くなるにつれてそう言う人は見る見る減って行きました。10歳くらい年上でインテリな人が一人居ましたが、その人は明らかに例外的な変わり者でした。


で、私くらいの歳になると「現象学的還元」とか「オッカムの剃刀」と言った言葉が通じる人間は皆無となってしまいました。

私がいた会社に限った話ですが、世間一般も同じような状況ではないかと想像します。

 

「現象学的還元」を日常用語として使えると言う事は、別にフッサールだけ知っていると言う事であるはずは無く、思想、歴史、文学・音楽・演劇など文化全般、政治経済・法制度について広く一定の知見を持っているはずです。

 

あと、宮崎駿の「風立ちぬ」を観たりとか、夏目漱石の小説とかを読むと、昔は大学生と言うだけでインテリだったことが分かります。

 

インテリなのが格好いいと勘違いしていただけかも知れませんが、別にそれでも何も知らないよりずっと良いと思います。

 

又、別に大学を出ていなくても、高卒・中卒で工場に入った人が、組合闘争の中でマルクス主義やマルキシズムの理解に必要な歴史、経済、文学と言った周辺知識を学んでいた時期もかつては確かにありました。

 

そう言う人達が高度経済成長を実現したのです。

 

それはそれとして、インテリなら良い、知識があれば良いと言う単純なものでもありません。インテリでもイヤミなのも居ますから、それだけじゃダメなんです。

 

ここで改めてWikipediaで「教養」を見てみると、こう強調されています

「知識を求めて学ぶことで品位と人格を高めようとする心構えが重要と考えられる。」

 

つまり、「教養」の本質は「品位と人格を高めようとする心構え」であり、そのために知識が必要とされているのです。

 

-*-

 

一番気に入らないのは、たまに居ますよね。若い女の子とかで。無知で品位が無い事を開き直っちゃうヒト。「知~らな~いも~ん」とか言ってヘ~キでいるヒト。


そこまでロコツに酷くなくても、「関係ない事は別に知らなくても構わない」と言う風潮は蔓延してしまっていると思います。「試験に出ない事は知らなくても構わない」と言い換えても良いかもしれません。ホントに関係ないかどうかは時間が経たないと判らないはずです。
投票率の低さなどがそれを顕著に物語っていると思います。

 

あと、落語に良くありますよね。ハッつぁんがご隠居に教えを請いに行くとご隠居が知ったかぶりをする話。「千早振る」とか。あのハッつぁんは素晴らしいと思います。何故なら自分が知らない事を自覚していて、ご隠居に聞きに行くと言う行動を起こすからです。そこで得られた知識が「鵜が難儀をするからうなぎと言う」でも良いんです。知らない事を知ろうとする事が大事なんです。無知の知を知る事が第一歩だとBC400年にソクラテスも言ってます。それから2417年も経ってる訳ですから、少しは進歩しましょう。

 

何故なら、「教養」はデジタル大辞泉に依れば「社会生活を営む上で必要」だからです。