【日馬富士暴行事件で教養について考える】 | モノゴトをオモシロくスルドく見る方法「かふてつの方丈記 」

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or
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唐突なタイトルで済みません。風が吹けば桶屋が儲かるみたいな話です。

 

日馬富士の暴行事件を見ていて、最近又キレて問題を起こす人が多いなぁと思いました。過日の東名高速の進路妨害死亡事故もそうだし。

 

で、ふと思い出したのですが、前、確か高畑勲監督だったと思うのですが、「キレる」人が増えている現状ついて、キレていました。「キレるとは何事か!!」と。

 

うろ覚えで理由もハッキリとは覚えていないから、改めて考えてみると、「キレる」と言うのは要は感情が爆発して制御不能となってしまう状態を指しています。

 

これは、理性が感情を押さえられなくなっている状態とも言えます。

演繹すると、「キレる」人が増えていると言う事は、世間の人々の理性が弱体化していると言う事ではなかろうか…

 

てなことで、高畑監督はキレていたのだと想像します。

 

では何故理性が弱体化しているかと言うと、ここからは私見ですが、教養が無くなっているからでは無いか考えています。理性は教養によって磨かれると考えるからです。

 

試しに、辞書を見ると「教養」は『社会生活を営む上で必要な文化に関する広い知識(デジタル大辞泉)』とあります。

 

と言う事は、「文化に関する広い知識」は「社会生活を営む上で必要」なので、「文化に関する広い知識」が無いと社会生活を営めないと言う事になります。

 

故にキレて社会生活に支障を来しちゃうようなヒトは「教養」が足りないから理性が弱体化して感情を制御できず、結果キレて問題を起こしちゃうんじゃ無いかと考えます。

 

だから、もっと「教養」をつけるよう努力しましょう。

 

(「教養」について説明不足なので、もう読みたくないかも知れないけど続く)