「ヱヴァンゲリヲン」TVシリーズについて | モノゴトをオモシロくスルドく見る方法「かふてつの方丈記 」

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「ヱヴァンゲリヲン」TVシリーズを見終わったのでまず、TVシリーズの感想を挙げておきます。

 

事前にWikipedia で下記の記述を見てしまったので、特にそこを楽しみしてました。

 

-----[ Wikipwdia より引用 ]-------

TVシリーズ後半、特に最終回2話とその前の展開について、パソコン通信上で激しい議論が繰り広げられ、批判意見も多くあった。この現象については、議論内容よりも「パソコン通信にハマる人たちは『現実世界に帰れ』」と苦言を呈している。

-----[  引用終わり ]-------

 

結果から言うと、私にはよく分かった。と言うか、普段から言いたいことをよくぞ言ってくれたと喝采しました。

 

最終回2話は、あれは私に言わせれば、「ヱヴァ」を教材とした実存主義の講釈です。

サルトルは実存を証明するものとしてアンガージュマン(社会参加)を唱え、ビラ配り等の行為で実践します。碇シンジも「自分は何故ヱヴァに乗らなければいけないのか」と自問し続けますが、「ヱヴァに乗る」こと自体が彼のアンガージュマンであり、存在証明である、と言う解釈を以て最終回を迎える訳です。ホントはそーゆー解釈は観客の一人一人がするものであって、制作者が答えの一例を明示してしまうのはどうかと言う思いも、正直一寸あります。

 

で、別に実存主義じゃなくても良いんだけど、映画なり、今回はシリーズ物のアニメですけど、何らかの作品を観たら、ホントは観客一人一人があの最終回2話のような自問自答をするべきなのに、それがあまりにされていない。だから観客になりかわって制作者本人が自問自答の例を示してくれたのが、最終回2話であったと思う。

 

庵野秀明は自分自身アニメーションのクリエーターでありながら、自分の作品の観客があまりにサム・ラウリー(テリー・ギリアムの「ブラジル」の主人公)化しちゃうことに危機感を持っていたんだと思う。

 

シン・ゴジラでも、「現実対虚構」と言う構図を持ってきて、「現実が虚構に勝っちゃうという虚構」というヤヤコシイことをやっている訳で、やっばり、現実に生きているハズの人が虚構にすがっちゃうような現状に問題意識を持ってるんじゃ無いかと思いました。と同時に、現実の人の心の依り代たり得るような「虚構」を作るという、クリエーターの責任感のような物も感じました。

 

と、言う訳でこれから映画版を観ます。

 

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