「時代と断層」 雁金敏彦

「時代と断層」 雁金敏彦

 時代の変遷によって変わり得る物と変わり得ないもの・・・社会システム論的な視点から歴史を追いかけて、今日も資料の山を掘りかえして東奔西走。
 史学を主体とした社会進化論。社会構造論。政策科学等の視点が主です。
 2012年から始めてみました。

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● 香港から。

昨年、大きなうねりを見せた香港の民主化デモ。その後のCOVID19の世界規模の感染拡大の混乱の陰に隠れて、着実に進む中国共産党による香港自治への侵食。中国側は断固とした姿勢をみせ、その強権発動による市民弾圧は映像として世界に拡散され、欧米メディアを皮切りに国際的な非難が巻き起こった。

対して、中国側の視点から見れば、返還された領土を自システムに併呑するプロセスに過ぎず、むしろ、米国または英国による政治工作が強まって対立が先鋭化したと見て新華社などは批判を強めている。実際に中国側報道ではCIAは関与を辞めよと声高に声明も出した。批判合戦は止まることはなく、混乱は収束の兆しを見せてはいない。

しかし、そうした騒乱は香港だけにとどまらない。

タイでは同様に騒乱状態が続いており、政権交代を促す深刻な社会麻痺を引き起こしている。そうした社会混乱は南米、中東、東南アジアなどの広範な地域で発生しているのが今日の姿だ。

同様にこうした国々や地域の政情不安には、大国の思惑が蠢動し、実際に情報供与や組織的支援、資材の供与や場合によって武器供与や戦闘訓練にまで進み、破壊工作活動や暗殺まで引き起こされる場合もある。

地政学的に続く”The Great Game”にまつわり、大国間の代理戦争や力学均衡という意味において、こうした世界各国の地域や特に大国の覇権力学上の均衡点における衝突は、現地の衝突と矛盾を拡大させ対立をより先鋭化させる方向へと事態を進める傾向をもつ。

時にお互いに傀儡を打ち立て、代理戦争に火花を散らす。そして勝者側は沈黙する。「お前たちは傀儡か?」と聞かれて、そうだと答える傀儡はいない。

今回の大統領選は二つの異なったベクトルで、こうした地域利害衝突や地域対立に対して、中長期的により深刻な影響を与える構造性を持っている。トランプの実質敗北と勝利宣言が出ればその構造的影響性は最悪のレベルとなる。

その構造性を見ていこう。


● 白地図の意味

世界最大の覇権国アメリカの意思決定中枢に致命的な混乱が生じることは、事実上、その覇権影響圏に野心及び敵意を持つグループにとって、自らの覇権構造を増大させる為の機会としては好機である。

まして、国際規模での覇権競争で主導権を争うチャレンジャーの意味を持つ「大きな」プレイヤーにとって、現実的な覇権力学の変質をともなう挑戦的な野心が実現する可能性を秘めている好機なのだと、この事態は映るだろう。

特に米中対立は経済分野の物流や技術における規格の分断というレベルから、既に冷戦状態に突入しており両国の誹謗中傷を伴った批判合戦は、多くの国際会議で他国の出席者をうんざりとさせるほどに慢性化している。

その背景の上にパンデミックの大混乱があり、COVID-19は特に欧米で秋頃から大流行の兆しを見せ始めている。各国は国庫が空になるほどの緊急の財政出動を行い財政状況を極端に悪化させているだけでなく、各種法令の緩和処置や、物流等の禁輸や出入国禁止などの非常態の処置を余儀なくされている。

こうして常態の国際社会環境とは全く異なったレベルで状況が推移している以上、ここで万一、最大覇権国内の意思決定機関で混乱や麻痺を伴う空走状態が惹起した場合、何が起こるだろうか。

そもそも、覇権競合国からすれば、米国の政治的混乱や対立を煽れば、より自国に有利な既存覇権力学の大幅な空白を作り得るという部分での工作運動はこれまで続いてきたし、そもそもそれに気付かない競合国側の戦略家は席を後進に譲るべきだろう。もともとロシアや中国は世論誘導などの情報戦のレベルでは活発に米国内で活動している。

米国の覇権が短期どころか長期的な範囲と大きな規模で揺らぐことは、時宜的な意味で競合国にとって絶好の機会である。

雁金俊彦 情報技研

 

4に続く。

 

<本稿は2020年9月20日に執筆した調査情報の一部を基にリライトしたものですが、第4稿~第6稿につきましては一般公開でのネット投稿には誠に勝手ながら掲載致しません。活字投稿版をご参照ください。>

● 「勝者の裏側で」

バイデンが勝つという意味よりもむしろ、トランプが負けるという「意味」に深刻性がある。

今必要なのは、バイデンが勝つという政治的な力学変動や経済政策側面の分析ではなく、トランプが敗北した場合に起こる混乱の影響分析がより重要であり、トランプ敗北の場合にひきおこされる混乱と状況の不安定要因とそのリスクは、おそらく社会に甚大な影響を及ぼすだろうという面でより深刻だ。

トランプ大統領自身が旧来から述べてきた様に、彼は郵便による期日前投票を含めて、「敵対勢力」がしかけるだろう「選挙結果の不正」を早くから公言している。

多分に陰謀論的な前提において、トランプ氏自信が「(私の)敗北は米国の「法と秩序による支配」が死と同義だ」とのべる。破天荒でモラルハザードで誇大妄想家である彼が、自身とアメリカとを同一視させるおこがましい姿は、しばしばメディアの嘲笑の的ではあるが、そこに見える深刻な面は、やはりトランプ大統領が「負けた場合に選挙結果を認めない」前提の形成に躍起になっている面にある。

トランプ陣営は世論調査統計上は先月末ごろから激しい巻き返しをかけており、各地で接戦が言われている。彼は既に自身の勝利を公言しており、明確に「勝利宣言」するという軌道上にいる。

詰まるところ、彼は現状で大敗がない限り、明確に結果の出ない段階で「勝利宣言」を行う公算が強い。つまり自身で勝手に勝ちなのりを上げ、独断で勝ちを決めるのだ。しかし、現実は彼に追いつかない。期日前投票の開票結果は大方の予測する様に実際のバイデン勝利を明示する可能性が高いからだ。

負けているのに勝ったと宣言する「裸の王様」。グリム童話の世界なら逸話として滑稽かもしれないが、それは現実であり、まして世界最大の覇権国米国で起きるとなれば悪夢以外の何ものでもない。

こうなった場合に、トランプ勝利の選勝集会もしくは、トランプ否認の抗議集会、警備当局がコントロール可能な範囲で、いつもどうり収束する規模ではそれは起きないし、米国内の混乱を加熱させ長引かせたい勢力は国内外に多数ある。


● 「突破口の不在」

しかし、そこまでの事態にエスカレートさせる可能性をうむ危険要素は、もともと米国内に存在する深刻な社会矛盾であり、利害の対立構造である。「守ろうとするもの」が相互に違い、分断の根本には相手が守ろうとするものを守れば、こちらが危ういという危機感に起因している。

例えば、古き良きアメリカの価値観と法と秩序による支配への傾斜は、それを脅かす価値・・・新入異文化・異習慣の人々にとって開かれた多様価値というグメーバルな前提によって無残に破壊され、非共同体的で個別主義者的な価値観が台頭する中ですりつぶされ、旧来の古き良きアメリカ社会はこのままでは没落し消滅するという死活的な危機感へとつながる。

さらにパンデミックと経済状況の悪化によってもたらされる待ったなしの社会不安によって、攻撃性をより強く帯びた対立へと進むのは必然である。

結果、そのどちらが勝とうとも、それはその反対勢力を強く刺激する。中でも米国内の政治もしくは宗教における右派過激派は、明確に武装勢力であり、これらが暴発し、中でも中部南西部の大都市で深刻なレベルの死傷者が出ることも予測される。そうした騒乱が起きた場合、流通経済が麻痺し、食糧供給なども滞り、多方面の混乱やさらなる感染拡大が医療制度を崩壊され、混乱は深刻さをます。

市街戦が起こる様な内戦に近いレベルまで報復と対立の連鎖が進めば、トランプ陣営の当確宣言の「既成事実化」の歯止めは効きにくくなる。

ここまでくれば確実に「大統領」はこれを鎮圧する名目で非常事態を宣言し、軍隊を動員する。自身の勝利を絶対化するために法廷審理に持ち込む公算が大きい。それはもはや公正な選挙結果たりえない。

となれば、元トランプ「大統領」を「絶対に認めない」とするシステム側内部各所で、ボイコットやサボタージュが確実に起き、米国社会システムは事実上麻痺し大混乱に陥る。議会と政府の対立はこれまで以上に深刻化するだろう。下院による大統領選出の流れも起こる。メディアは徹底的な「元トランプ大統領」と「新バイデン大統領」の論調で混乱を煽ることとなる。

この様な米国政治中枢を含めた政治空白と混乱麻痺状態は、米国の内政レベルの大混乱や経済的安定性の失速と雇用の喪失に加えて、それを担保する前提となる治安・外交・軍事上の組織的大規模な戦略面での意思決定の空白を生み出す。

世界規模で大きな軍事・外交分野での力学上の抑止力が減衰する。

中でも既存秩序に不満なロシアの再膨張とそれを脅威とするNATO加入国の対立、利害が複雑化しステージを変化させつつある中東の広い範囲の混乱、なにより再燃する可能性を持ち続ける朝鮮半島、東シナ海周辺等において、中国が見せている既存覇権に対する挑戦的姿勢。

米国が元来に持ち続けてきたモンロー主義傾向に加えて、国内の政治的空白と大きな混乱が巻き起こるであろう流れは、米国の外交・軍事分野でのシナリオの選択肢を確実に狭めるだろうし、選択肢の減少は米国サイドのプレゼンスそのものの確立を根本的に困難にさせる。

米国覇権に対して局地的にリスクを冒してでも復権を試みようとするであろう国や地域は多く、大きく世界規模での線引きを変更したがっているロシアや中国の様な大国にとってはまたとない好機だろう。

世界最大の覇権大国である米国の混乱は世界に波及する。

しかし冷静に見れば、むしろトランプが勝利した場合、その後の米国内外の混迷は続くとしても、米国政治制度上のシステムの混乱のインパクトは時間経過とともに弱まり年内には大きな混乱は収束するだろう。

前回の大統領選の結果以降の混乱程度の小規模の局地的騒乱状態と同程度のものの延長線上に、経済悪化と感染拡大が重なる程度・・・大変深刻だが国が内乱になるというレベルには中長期的には考えにくい。

秩序についての規律意識から見ても、両陣営世論のどちらが「本当に負けたことが明確な場合」に、素直に負けを認めることができるかで分析した場合に、確実にトランプサイドの方が「結果に従わない」が故に、混乱は収束が難しく、長引くことになるだろう。

繰り返すが、問題はトランプが負けた場合にある。


雁金俊彦 情報技研

● 「引き裂かれる星条旗」

米国大統領選が巻き起こす混乱について、米国国内都市部の警察組織の多くが厳戒態勢に入っている。選挙結果としてどちらが勝とうが、敗れた側の支持者による反対集会が必ず開かれる。それが「勝者側」を刺激し市民同士の衝突から騒乱状態に突入する。そして、その前哨戦というべき衝突は既に起き、死傷者も出ている。

現実に既に8月ごろから米国国内では市民デモ同士またはデモとその反対者による衝突や関連した事件が多数起きている。

これを指して、史上最悪の大統領「トランプ」が米社会内での「分断」を煽り、彼がそれを巻き起こしているのだとトランプ政権に元来に批判的な米国有力紙はこぞって述べる。しかし、その「分断」とは本当に一人の多分に独りよがりの煽動的人物が巻き起こし得るのか・・・そんな単純で生易しい物ではないことは、米国メディアの自身がもっともよく熟知している。トランプはアメリカの構造的な社会矛盾の「結果」に過ぎないからだ。

今世紀に入って明確に顕在化している米国の構造的に固定された社会矛盾は深刻なレベルである。富は一部に集まり、社会に循環し拡散する傾向は見せず、ますますそれを固定化している。時代のバスに乗り遅れた人々が多数を占め、そしてもうバスが来る気配はない。

トランプ以前から「バスが来ない明日」は、多くの米国市民にとって固定化され深刻度を増した現実だった。その矛盾が生み出す米国市民の不安と社会憎悪は、トランプを攻撃するメディアを含めた「バスに乗った」体制側、つまり、二大政党の職業政治家や既得権益化した制度側という既存構造側からでは、改善できないものであった。既存構造側の生存構造そのものが矛盾の源泉であり、既存構造の存続を担保するのが矛盾を生み出す構造だからであった。

グローバル経済とそれをむしろ拡大し続ける技術体系の飛躍的革新は、バスに乗るものと乗らないものの断絶を拡大し、今この瞬間にトランプとバイデンを声高に指示する米国市民の多くはどちらも「乗り遅れた側」に位置している。トランプは乗り遅れた人々の片側のグループの不安を代弁し煽っているに過ぎない。

トランプ氏は分断を加速しているが、分断そのものが問題なのではなく、分断を促進している社会構造の矛盾こそが、問題の本質なのである。

その意味でトランプ批判は滑稽であり、的を外している。現実には確かに、現大統領の言動は一貫せず、政治的正統性を欠き、確実に「常軌を逸している」としても、そのトランプは「彼流のロジック」という独演場で、その矛盾にNoをつけつけているにずきない。つまり、トランプ大統領は矛盾が生み出した結果であり、決して原因ではない。

そして、今回。多くの予測ではその空前絶後の大統領はおそらく敗北するだろうと述べる論調が主流だ。

世に出ている大統領選の予測分析として、バイデン勝利の分析論文の多くが「バイデンの内的傾向と現在のアメリカの政治システムは、米国内外について劇的な改善や変化をもたらさず、中短期的に世界に与えるインパクトは小さい」と述べるものが多数を占めている。

故に、米国大統領選がどちらに転ぼうが、「いま」とさしたる変化はない。バイデンが勝ち、米国内外政はリベラルサイドに少し巻き戻る程度で、世の中はさして変わらない多くの原稿が異口同音にそう述べる。

それは果たしてそうか?。

● 「混乱。そして混乱。」

2020年10月31日に米国の一日の新規感染者数は9万9321人。これは今回のCOVID19パンデミックにおける一日あたりのワーストレコードである。欧州の流行も拡大の一途を辿る。そして経済統計。世界規模で経済指標はマイナスに振れており、米国の最新統計も企業業績などもまた大幅に悪化している。

過去最悪のタイミングで米国大統領選が行われる。米国社会の大衆の不安心理も劇的に増大し、新規銃器購入数は過去最高に達しようとしている。

「南北戦争」並みの国論の対立が起きている大統領選に突入したのだという現実は、本来解離するはずもなかった米国の基幹的社会価値観の分裂・・・つまり、米国市民の自立自尊を謳う「自由主義的価値観」と、多民族国家の前提として共生を担保する「合理主義的価値観」の分裂を作り出す。

大統領選における両サイドの支持者は、自陣営が勝たなければ「アメリカの未来はない」と感じている。トランプが敗れれば「自由主義的価値観」は死ぬ。バイデンが敗れれば「合理主義的価値観」潰える。故に、どちらが勝とうが負けた側にとっての選挙結果は絶望であり受け入れがたい。その深刻性が米国警察当局の警戒態勢強化へとつながる。

警官達はそうして銃をつかむ。

雁金俊彦 情報技研


 公明と共産が票を伸ばしたのは、投票率低下による組織得票力という要素だけでは無く、批判票を有る程度吸収したからだ。
 野望に対する諮詢、暴走としての抑制。

 しかし自民にとって、参院では公明の意向を「配慮」しなければ成らない物の、組閣人事上の配慮と消費税の課税形態、地域振興券程度で妥協を見るだろうかと思われる。

 大勢として自民は非常に有利に政策を続けるだろう。

 しかしながら安倍内閣への胸騒ぎとして、その大勝利を国民による「白紙委任」と理解し、数的有利を最大限発揮するだろうと予測して見せるのは単なる過ぎた危惧だろうか。

 確かに国民は不安の中から、自民の圧勝を許容した。

 日本は25年間の空走期に余剰設備と老朽技術を東アジアにばらまき、不良債権処理に喘ぎ、社会内失業者を底辺へと排除する中で、戦後経済の清算に懊悩し次々に失点を重ねたてきた。
 かつ、米国や中国等の諸外国による過当な攻勢を許容せざるを得ない風下に立った。

 さらに言えば、一億総中流は瞬く間に過去の意識と成り、水と安全はどちらも随分と高い値札が付く様に成った。改めて時間軸を戻せば、かつての常識は減衰し、人々の生活も激変したことに改めて愕然とする。

 社会の末端まで情報管理技術が張り巡らされる事で、生活の細部までが合理化され効率化された結果、人々に時間や人間関係に「あそび」の余裕を極端に失わせているように見える。
 それに加わえ淘汰競争と経済的な衰退が人々の生活を万力の様に締め付け、息苦しさを蔓延させてきた。それがこれまでの痛みをともなう25年間だったろう。

 内閣のスローガンはそうした25年間に逆戻りして良いのかと述べる。

 内閣とそのスタッフは、バブル以降に明確な設計図を描き、「ある種」の変化をもたらしたと言う意味で、90年以降に政権をとった内閣の中では特異な位置づけを確かに維持している。

 つまりは多くの人々は今の不安に追い立てられ、安倍政権を積極的に支持する事もしないかわりに、「失われた時間」の生み出す不安を恐れて消極的に安倍内閣批判にブレーキをかけ、または消極的に息を潜めて棄権した。

  故に、アベノミクスと言う安倍内閣の方策こそが、やがて自分と言う末端にまで波及する「かもしれない」という果無い願望を夢見たかもしれない。日々押し寄 せる抜き差し成らない日常の不安と休息無き日常に裏打ちされた虚像として揺らぎに人々は疲れている。 故に自民大勝は正しく述べれば「白紙委任」等と言う 種類の物ではないかと感じる。

 しかし、内閣にはもはや歯止めは無い。

 自公内の現内閣に冷ややかな参議院のグループ程度はいる。そして、野党も日本の舵取りに対して厳しく追及はするだろう。
  ただ、構造としてみれば内閣のブレーキと成る物は国内には現状存在し得ない。特に野党第一党の党首落選と言う失態は致命傷であり、求心力は生みにくい様に 見える。他の野党もその意味では変わらない。このままなら弱体化した勢力がさらに分裂し、再統合に膨大な時間とエネルギーを要して四月頃まで空走する。

 故に単純に考えれば、安倍内閣は「改革」と「進歩」を加速化させるだろう。

 安倍内閣は「民意」という言語の幾何学的「解釈」によって、原発再稼働は確定し、5月までに機密情報関係や対スパイ法法制の諸制度改革という前払いも終わる。議論余地は埋まらないまま、それを良いと信じる多くの意思の中で事態は進むだろう。

 「岩盤規制」と竹中平蔵氏が連呼して来た労働市場改革、医療制度改革、一次産業改革が劇的に進み、「国民からの白紙委任を頂いた」という口実の元に、一気に民間市場に下げ渡されることも回避出来ない。

 特にこのファンタスティクな解体ショーは改めて述べるまでもない茶番にさえ見える。外資にとっては確かに素晴らしいごちそうだし、円安も進んでいる。

 疑り深く成るのは道理で、現実には、郵便局のがん保険がなぜ外資一社なのか。郵貯バンクの幹事の席がなぜ日本資本にほぼ席が無いのかと言う、「自由主義市場」など名ばかりの同じインチキが、そうした分野でもなし崩し的に進む事を懸念するのは当然だろう。

 短期的には市場が活性化するだろうけれど、長期的には日本国が近代以降備蓄して来た国民の生活安定と組織力は根幹から脅かされるだろう。

 量的緩和も継続され、円は150~170円を許容する言葉を聞く。

  上げ下げを繰り返しながらも株高は安定し、年始以降も高値を更新するかと周辺で多くの人が述べる。大企業の企業収益も、労働市場の規制緩和も助け舟と成 り、ますます内部留保と社内年金、株主配当を増やすが、それが社会の資本環流には乗らないため、社会が実感出来る様な形ではうまく還元はされない。即効性 はほとんどないだろう。

 バブルのおこぼれはうたかたの夢ではないか。
 実態的な生活意識の改善が進まなければ、景気は高揚せず、国民の不安はむしろ邁進する予測は悲観的過ぎるとは言えない様に思える。

 徳島山間は何十年ぶりの早い雪を抱き、孤立していた。
 かつての山村は備蓄食糧を前提にした生活が有り、その生活の知恵は大した物であったが、老齢化がすすみ、村落共同体が既に破壊されているので相互扶助の共助が喪失し、孤立すれば弱い。高齢化も進み、昔とは違う。

 確かに改革論者が述べる様に、衰弱死するくらいなら、死ぬ前に一か八かにかけろというかけ声が説得力を持たざるを得ない現実がそこには有る。
 即効性のある代案を求められてもひねり出せない自らの無能はその前で反論の言葉を失う。

 「あそこも孤立しています」と言われて見上げた山村は、そこだけが白く見えた。
 手に届く様で決して届かないもどかしさがそこに有った。


新・忘れられた日本人---辺界の人と土地




「解散・総選挙 なぜ今?与党が勝つとどうなる?」

更新 2014/11/17 16:00


http://dot.asahi.com/aera/2014111700047.html



 上の記事でも皆さん色々と述べられておられます。

 何故、今の時期かと言う問題は、やはり今が最良だと判断するに足る状況が現実に有ると言えるわけで、安倍さんのブレーン達にとっては今が最高のタイミングと言う事なのだと考えています。


 まず今のタイミングでは、安倍内閣は財界から極めて高い支持を維持しています。

 現在、安倍内閣には財界からの資本が潤沢に流入しています。上場企業の多くが過去最高収益を記録する等、財界からは特に安倍政権に対する強い逆風は無い訳です。

 さらに言えば、消費税導入に関しては米国を含めて財界から異論が出た事も飲込みましたし、法人税減税と労働移動支援助成金制度等も拡充しています。海外へのトップセールスとワンセットに成った経済援助も安倍さんになってから大判ぶるまいに成りました。
 そして、株価は微妙な上げ下げを繰り返しながらも上昇傾向に有る訳です。

 ですので、財界に対しては安倍政権はほぼ満額回答というべき政策を実現してきたと言えると思います。不満が生じる余地が小さい訳です。

 官界はいろいろと有りますが、基本ベースでは安倍内閣を支持する形での合意が形成されている・・・というより、財務や経産の主導集団は安倍内閣の政策の多くを牽引している格好です。

 政界を自民が圧倒的比率で牽引する状態で、財界と官界が安倍内閣を支持している状態が安定していると言う事です。

 ですので、外的には各社会勢力が安定して自民の支持に回っていると言うタイミングはまず、かなり大きいと言えるかと思います。

2に続く

 「日本領海でのサンゴ密猟」について、中国外務省は3日、華春瑩報道官の公式声明として、

中国は一貫して海洋生物の保護を重視し、漁業者に対しても法に従って操業するよう求め、アカサンゴの密漁を禁じている

と記者の質問に返答している。
(資料1)

 また、中国政府が公式に日本政府の要請に対して反応している内容は、菅官房長官の発言として

中国は本件の重大さを認識しており、漁民に対する指導など、具体的な対策に取り組むとの回答があった。我が国からも、中国に(密漁漁船に関する)情報提供をしている

という回答からも分かる。(資料2)

 これは、日本政府は木寺昌人中国大使を通じて、3日中国の王毅外相に遺憾の意を伝え、サンゴ密猟の再発防止を求める文書を提出していることを受けている。

 つまり、日本政府側による外交レベルでの積極的な働きかけが行われているのだが、それは日本が外交ルートを通じて中国に抗議し、その抑止を要請、中国政府も公式には取り締まりを確約するという、外交上の順当なプロセスを踏む形でやりとりがなされている事を示している。

 また、日本政府は中国政府に対して公式には取り締まりを確約するという成果を引き出している事から、明確な外交プロセスとして日本側に逸脱行為は無い。

 しかし、台風後の昨日も本日も、中国の密漁船が日本海域で公然と日本資源の略奪行為を続けており、ここで

漁民に対する指導など、具体的な対策に取り組む

という中国政府の声明は守られていない事が分かる。(資料3)

 
だが、そもそも中国の漁業については、厳格に中央統制が機能する登録認可型のSystemを採用しており、中国漁船の行動は中国当局の管理下にある事は大前提である。
(資料4)(資料5)(注記1)

 現実に彼等の行動を見ても「当局の目を盗んで」という行為ではなく、明らかに日本の報道を含めたメディアでの拡散に警戒感を覚える気配はなく、その「映像」が中国当局の罰則の証拠となる事を彼等が全く恐れていない様子は、これらの船団に明確に観察出来る。

 彼等は堂々と公然と「密猟」という資源簒奪行為をカメラの前で繰り広げている。

 つまり、日本側の映像証拠に対して、中国当局が取り締まらないと言う前提の行動である事は明白で、中国の漁船団が、これほど大量に日本に出漁し ている以上、これは密猟ではなく中国政府の介在する形での事実上の放任もしくは意図的な行為である事を疑わざるを得ない。

 中国政府が周到な点として、中国漁村等に対して密猟禁止に関する啓蒙活動の一環として、サンゴ密猟禁止ポスターの掲示を含めたアナウン ス行為は火急迅速に行っている。

 また、見せしめ逮捕や密告に対する懸賞金制度の施行等、実効性に疑問視される向きも有るが、全く対応をしていない訳でもない。
 国際社会に向けた外交上のジェスチャーとして国内対策の既成事実は確保し ているという意味でも、非常に巧妙な対応を見せており、予期される日本や国際批判をかわす事も計算している様にみえる。

 傍証として、アカサンゴは中国国内で確かに高値で取引される投機品として脚光を浴びているが、アカサンゴの分布は、小笠原沖だけでは無い。良く知られ る様に四国沖を筆頭に九州周辺にも大面積で生息し、さらに投機対称と成る宝石サンゴは長崎五島列島、沖縄、ミッドウェイにも分布する。(資料6)(資料7)

 では、何故小笠原沖に異常に中国籍の「密猟」漁船が密集しているかについてだが、各国の軍事アナリスト等が分析している様に小笠原諸島から、サ イパン、グアムを結ぶ第2列島線を攪乱し、日本及びアメリカの太平洋西部海域支配を限定化する事が狙いであると容易に推測出来る。

 中国は80年代より第二列島線までの海域支配を明言してきており、西太平洋での中国の「権利」を述べ、その野心を露骨に示し続けているからだ。(資料8)(資料9)

 つまり、容易に予測されるのは自国船籍密漁船に対する「取り締まり活動」を口実に、第二列島線までの中国軍による哨戒活動の拡大が公然化するというシナリオである。

 中国軍艦戦が第二列島戦付近まで常駐する様に成れば、第一列島線である台湾・奄美海域から、日米両国の軍事連携が寸断される事に成り、日本南海での中国のプレゼンスが急拡大する事に成る。
 これにより、日本は南からも中国の軍事的威嚇と資源簒奪が常態化する事態に対応しなければ成らなく成る。

 旧来から言われ続けて来た様に、中国政府や軍部が、その興味や野心を抱く海域には、先に大挙して漁船団が現れる点を欧米メディア等は「中国の漁船と言う兵器」等と表現し、これを批判している。漁船の次は哨戒船、そして軍監と既成事実を拡大する事がワンセットと成り、世界中で繰り返されている。
 
(資料10)




 これらの状況を解析すると、中国はまず小笠原沖でのサンゴ密猟と言う脅威を演出し、日本の動揺を生成している戦略的な行動である事が容易に推察可能である。

 つまり、尖閣初等周辺域での「漁船」越境問題や、ベトナムやフィリピンで行っている領海侵犯行為に見られる様な、中国が従来から選択して来た他国に対する主権侵害行為の一つのパターンを確実に踏襲している事が分かる。
(資料11)

 自ら相手国の主権を侵害する事で、意識的に外交交渉上の争点を生成し、それを材料に本来相手に妥協させたい部分に対して、外交上の交換条件を作り出すと言う旧来の戦術の焼き直し行為を、再び実行しているに過ぎない。

 こうした観点から見れば、今回の事は両国間で懸念されて来た首脳会談問題に直結している事は明らかだ。

 その前段階として、日本政府が中国政府と取り交わした「同意事項」生成に向けて、両国間で交渉が加熱してきた時期から、この「密猟行為」が突然拡大して来たというタイミングと見事に合致する。

 中国側の戦略的意図は、日本側に対して世論反撥を含めた外交的優位を確立する為と、首脳会談時の「そもそも存在しない妥協点」を作り出す為という、極めて戦略的手法に乗っ取った行動であると分析出来る。

 同時に日本国内で日本政府対応に対する不信を生成される事を予期し、相手の国内で混乱を生成し、友好か強硬かと言う世論の議論の拡大を促し、相手国の足並みの揃わない対立関係を内包した世論を背景に、自らの交渉を有利に運ぶという攪乱戦術の意味合いも持ち合わせている点もまた、非常に戦略的な行動で有ると言える。

 こうした中国の演出を理解せず、いたずらに事象に着目し続ける事は、日本にとって不利であり、本来であれば密猟取り締まりとしての司法上の対処が望ましい。

 具体的には、日本政府による司法権上の権利行使として、密猟者に対する厳格な逮捕拘留活動の拡大は急務であり、さらに言えば悪質なケースに対して、逮捕時の武力行使に向けた法的罰則(懲役5年以上)の強化の為の立法の生成という、日本国側の自発的検挙活動が望まれる。

 しかし、日本側はアメリカを中心とした国際世論から強く促され続けている首脳会談開催にこだわり、そうした自発的な強硬態度に向けて行動する事を消極化させている。
 このことも、日本国内の政府は弱腰と言う批判を拡大させ、安倍政権の政治力を弱め弱体化させるという効果を生む。
 この二律背反によって日本は何も出来なく成る。

 そして既に中国の国内メディアが報道している様に、日中は首脳外交交渉前にテンプレートと成る合意文章を作成し、その中で

沖縄県・尖閣諸島の問題について「異なる見解を有している」
(資料12)

という文言を加えた事で、中国国内メディアはこれを「日本が遂に領土問題として認めた」と言う論調で、既成事実化をアピールし始めている。まして、ここには沖縄県と言う言葉が堂々と含まれている事に驚かざるを得ない。

 また、

歴史を直視し、両国関係に影響する政治的困難を克服する

とする同意文章も、日本側が遂に自ら非を認めてテーブルに着くとしきりにPRされている。

 確実に日本側の意図している対話の為のお膳立てという筋書きは巧妙に書き換えられ、中国がこれまで一方的に付け足して来た外交カードがレベルアップによって強化されるとともに、巧妙にその内容が拡大解釈されて行く。

 対欧米向けの中国系メディア報道でも、「尖閣の領土問題」と「日本の歴史を直視」が話し合われると言うPRが成され、日本側は首脳会談の前から「会談の失敗の原因」という「かせ」を予め相手に押し付ける狡猾なトラップに対峙しなければ成らなく成った。
(資料13)(資料14)(資料15)

 そして、ここに新たに「密猟問題」という外交テーマが加わり、日本がその他の経済や資源、防衛交渉で、新たなカードが交換条件として、中国側の切り札に加わる事と成る。

 日本人は旧来の「友好」VS「強硬」という二元的な外交戦略を改め無ければ成らないし、中国は日本の紆余曲折という国内事情を充分読み切って、今回の「密猟」行動をとっていると理解すべき段階だ。




 
 古来よりの日本的な感覚から言えば、交渉前には出来るだけ騒乱を避けて穏便な行動をとり、相手の立場を少なくとの尊重してみせるのが礼節とされる。

 そして、そうした認識は日本型の社会構造維持においては、当然何ら間違った認識とは言えないだろう。しかし、これが異なる社会構造を持つ文化圏に対する時、日本的な認識でそのまま相手を観察し、日本文化的な対応をとり、相手にもそれを期待する事は決して得策とは言えない。

 中国だけでなく、韓国や北朝鮮にも見られる中華文化圏国家群の社会文化的行動傾向として、交渉の前に成ると逆に小さな武力衝突や外交的トラブルを起こし、意識的に相手側を攪乱すると言う手法は、史的観察においてもレギュラーと言うべき当然の行為であり続けて来た。

 これを日本文化圏的感覚で「ずるい」と糾弾するのではなく、それは異文化の社会的行為として他者として自覚的に観察し、冷静に理性的に対処する事が求められる。

 すでに明らかな事だが日本型の外交上の配慮から開催予定の首脳会談にむけ、サンゴ密猟事案に対しては日本側が強い対応を取る事が出来ず、首脳会談前後の外交交渉でのサンゴ密猟事案の解決と言う事に成る公算が大きい。

 結果的に中国に対して「国内で取り締まってください」と述べる事は外交上のお願いとなり、それは外交的な日本の妥協点・弱点として相手にカードを一枚増やす事を意味する。その事を中国政府は良く理解して行動していると言う戦略的観察を日本人は忘れては成らない。

 相手は中華文化圏という「駆け引き」というネゴシエートを、子供から大人まで骨の髄のレベルで戦略的に行使する文化圏であり、当初から日本型の誠意等、決して期待しては成らないし、「けしからん民族」だと激怒する必要も無い。

 それは文化圏としての構造上の差分に過ぎず、所謂、「文明の衝突」なのである。

 文化傾向から見て、それはどちらも間違っておらず、お互いにやり方が違うにしか過ぎない。根本の歴史に基づいた社会文化的な「」として求められる形が、構造として異なっていると言う事に過ぎない。

 日本側がすべき事は、自価値をしっかりと担保した上で、相手の差異性を理解し、毅然とした態度で厳しく当たるべきである。

 平身低頭で隷属したり、自分を曲げて相手との意味の無い「友好」に傾斜したり、逆に攻撃的に相手の主張を強硬にはねのける事も得策ではない。
 剛直で時に柔軟なネゴシエーターとして、根本から異なった「」である人々、つまり、一筋縄でいかない相手にしたたかに対処する事が望まれる。

 相手は孫子や諸葛孔明を産出した国であることを踏まえ、いたずらにこうした攪乱戦法に乗り、意味の無い友好親善や、断交も含めた強硬路線もまた、相手の術中に嵌る事になり、我々は歴史を繰り返す事に成る。我々はその轍を回避しなければ成らない。

 中国に対する日本世論の見識が、逆にこの事案によって深化する事を期待したい。

雁金敏彦 情報技研




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(資料1)
中国「サンゴ密漁の取締り強める」」 NHKニュース
11月3日 18時53分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141103/k10015906811000.html

(資料2)
サンゴ密漁防止、中国外相に求める…政府
読売 2014年11月06日 15時43分
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20141106-OYT1T50091.html

(資料3)
サンゴ密漁:小笠原、漁船100隻超が再集結 台風去り
毎日新聞 2014年11月07日 11時30分(最終更新 11月07日 12時02分)
http://mainichi.jp/select/news/20141107k0000e040198000c.html

(資料4)
「日中民間漁業協定(1955年)
東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPCH/19550415.T1J.html

(資料5)
東シナ海で3カ月間の全面休漁、海洋資源保護に対応
レコードチャイナ 2014年6月3日 20時32分
http://www.recordchina.co.jp/a89079.html

(資料6)

全日本さんご漁場図
 全日本珊瑚漁業協同組合
http://www.j-coral.com/report57/IMG-s5705zen_0002.jpg

(資料7)

ミッドウェー漁場図
全日本珊瑚漁業協同組合
http://www.j-coral.com/report57/IMG-s5705zen_0003.jpg

(資料8)
TRENDS INCHINA’S NAVAL MODERNIZATIONUSCHINA ECONOMIC AND SECURITY REVIEWCOMMISSIONTESTIMONYJESSE L.KAROTKIN
http://www.uscc.gov/sites/default/files/Karotkin_Testimony1.30.14.pdf

(資料9)
中国の南太平洋島嶼諸国に対する関与の動向―その戦略的影響と対応―
吉川 尚徳
http://www.mod.go.jp/msdf/navcol/SSG/review/1-1/1-1-3.pdf

(資料10)
China’s 50,000 Secret Weapons in the South China Sea
http://nationalinterest.org/feature/china%E2%80%99s-50000-secret-weapons-the-south-china-sea-10973

(資料11)
China-Japan Maritime Dispute: China Recalls Navy Ships, But Sends More Fishing Boats
http://www.ibtimes.com/china-japan-maritime-dispute-china-recalls-navy-ships-sends-more-fishing-boats-1712429

(資料12)
日中首脳が会談へ 前提として合意文書発表 異例の対応
朝日新聞デジタル 11月7日(金)19時46分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141107-00000042-asahi-pol

(資料13)
尖閣 見解相違認める 日本側譲歩 日中首脳会談へ
東京新聞 2014年11月8日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014110802000116.html

(資料14)
日中が対話再開へ、尖閣めぐり見解の相違認める
ロイター日本語版 2014年 11月 7日 19:07 JST
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPKBN0IR0PE20141107

(資料15)
日中が対話再開で合意、東シナ海の危機管理体制構築へ
WSJ日本語版 2014 年 11 月 7 日 18:33 JST
http://jp.wsj.com/news/articles/SB12377912224764574491004580263461085235080?mod=WSJJP_hpp_RIGHTTopStoriesFirst

(注記1)
密漁船を=全て偽装登録の「三無漁船」であり中国が取締に苦慮していると一部報道に有るが、外洋航行可能な中型漁船が100隻前後常に操業する事 態の説明には成らない。「三無漁船」含まれているだろうとする推測と、小笠原沖で大規模に漁船が公然と展開するな事態には、事実認識上の大きな乖離が有 る。




雁金敏彦著





 香川県高松市の沖合に大島が有り、ここに国立療養所 大島青松園が設立されたのは明治42年(1909)。

 この病院は日本国政府が設立した国立ハンセン病(注.1)療養所であり、かつて伝染性の業病と恐れられたハンセン病者を社会から隔離する役割をもっていた(注.2)。

 人類にとって古いハンセン病の歴史は、常に病を得た人々への強い差別と排除を伴った。
 この病気が徐々に皮膚、骨、内蔵を侵し、人の外見を損なうという部分が、見る人々を生理的に恐れさせ、恐怖によって社会は患者達を排除しようとし続けた。

 中世から近世にかけて、社会から排除された患者達は集住と漂泊を余儀なくされ、やがて患者は路辺に倒れてその生を終えざるを得なく成った。この時代に欧州や日本等では、宗教施設が療養と隔離の為の患者保護施設として各地に展開した。

 しかしむしろその差別は近代に入って明確に成った。
 科学の進展から細菌感染と言う認識が確立し、原因不明とされた病気が感染症だと理解されると、逆に感染を恐れて感染者を危険視する風潮は強まり、ハンセン病罹患者に対してその隔離政策は徹底した物と成って行く。(注.3)

 近代国民国家の時代、各国は地理的に孤立した島嶼等を選んで、感染予防の為のハンセン病専用の建築物を建造した(注.4)。
 そこでは感染者は家族と引き離され、感染予防と逃亡抑制から専用通貨まで用意され、葬儀や埋葬までその地に限定された。同時に不妊手術等の強制断種さえ制度化され行われている。(注.5)
 戸籍から抜かれる等の処理とともに、施設内では園名と言う名前を与えられ古い名は捨てさせられ、強制的に存在を抹消され社会から人がかき消されると言う装置が制度化されていた。

 つまり、ハンセン病にかかると言う事は、生きながら死者に成る事を宣告されるという、全ての終わりを意味していた。

 実はハンセン病は極めて弱い感染力しか持たなかった。しかし、その病変への恐怖から伝染力が強いと信じられ、強い社会リスクとして捉えて、これを近代国家の合理的防疫という観点からも強制的に社会から隔絶しようとした。
 施設に勤務する医療従事者やその家族にまで根強い偏見と差別が続いた事は今日でも良く知られている(注.5)。

 この国立療養所 大島青松園の入所者の為に「霊交会」キリスト教カソリックの信者組織が設立されたのが大正三年(1914)である。
 きしくも、それは桜島大噴火と同じ年と成っている。

 桜島噴火被害の責を負わされる形で鹿角義助は鹿児島を去り、多度津測候所所長として大島青松園がある香川に転任したのが大正三年(1914)。
 辞職を拒まれた事で、鹿角自ら転任を願い出たとはいえ、それは事実上の更迭と社会からは理解された。ただ、測候所のおかれた状況を理解する中央気象台(気象庁)にとっては、鹿角を保護すると言う傾向に強く傾く。

 鹿角は温暖な瀬戸内の気象に触れ、浜田から鹿児島まで積み上げて来た気象観測に対する長年の技術をもって職務に打ち込み、すぐに新しい任地にとけ込んでいる。多度津測候所で鹿角は定年退官まで実直で正確な仕事を続け、退いて後も多度津の隣 香川丸亀に住んだ。

 その香川にあるハンセン病施設、大島青松園の「霊交会」の機関誌「霊交」には、患者や職員、そして家族達の様々な思いが綴られている。(注.6)
 社会から忌み嫌われ排除される身の居場所を、一身にキリスト教的な信仰の中に探ろうとする人々の声がそこに残っている。つまり霊交とは、罹患により肉体が滅ぶと宣告されても、霊と言う精神の世界では神と交わろうとする願いを示していた。(注.7)

 長年発行を続けた機関誌「霊交」の文末には、全国からの寄付者名簿があり、その中に鹿角義助の名前が残っている(注.8)。鹿角は測候所の勤務時代以降を通して毎年寄付を続けた。

 社会から強い排撃を受け、全てを失って故知を追われた人々の住まう大島青松園に、鹿角は寄付を続けた理由に何が有ったのか、史料からはそれ以上判断する事は出来ない。寄付者名簿にその名が残るのみである。

 ハンセン病のカソリック系患者組織の活動に寄付を続けた鹿角はまた、自身も熱心なカソリックであった。つまり、自殺を禁じたその信仰において、そもそも桜島大噴火の予知を果たせなかった引責の為の「自決」はそもそも選択出来無かったのである。

 鹿角は昭和36年8月多度津の隣地である丸亀市の自宅でその一生を終えた。86才である。
 鹿角は大森や今村より長く生き、そして、彼等が震災とと格闘を通し、その苦心惨憺のうちに人生終えた様子を四国から見つめ続けた。

 かつて人生に浅からぬ交わりをもった二人が迎えた結末について、最も長く生きる事に成った鹿角がどのように感じていたのか、それについて史料には語る文字は見当たらない。

おわり





(注.1)
 ハンセン病、癩病またはらい、英名では一般にレプラ。抗酸菌マイコバクテリューム・レプラによって引き起こされる感染症の一種。紀元前16世紀頃にエジプトの史料に登場する病変をハンセン症の最初の例と解釈出来る史料が最も古いとされる。

 一般に広く知られた伝染病であり、その病変の激しさにより、強力な感染力を持つ不治の病と誤解され、ハンセン病感染者は差別され社会から迫害を受けた。現在では感染力が非常に弱い事で知られ、抗生物質により完治が確立している。中世までは社会に蔓延した慢性病であったが、ペストの流行とともに反比例するかの様に感染者数を減らした事は、その原因が諸説有り未だ明確ではなく議論の対象である。

(注.2)
旧約聖書レビ記13章

「13:1 ついで主はモーセとアロンに告げて仰せられた。
13:2 「ある人のからだの皮膚にはれもの、あるいはかさぶた、あるいは光る斑点ができ、からだの皮膚でらい病の患部のようになったときは、その人を、祭司アロンか、祭司である彼の子らのひとりのところに連れて来る。
13:3 祭司はそのからだの皮膚の患部を調べる。その患部の毛が白く変わり、その患部がそのからだの皮膚よりも深く見えているなら、それはらい病の患部である。祭司はそれを調べ、彼を汚れていると宣言する。」

「45.患部のあるらい病人は、自分の衣服を引き裂き、その髪の毛を乱し、その口ひげをおおって、「汚れている、汚れている。」と叫ばなければならない。その患部が彼にある間中、彼は汚れている。彼は汚れているので、ひとりで住み、その住まいは宿営の外でなければならない。」

(注.3)
 癩予防法。

 県知事等は強制的に感染者を拘禁し、家屋等を消毒した後、療養所へと隔離入院させる権限を付与された。これにより感染者は強制的に家族や地域と引き離され、終生完治しない限り療養所に軟禁状態にされるという仕組みが立法化されていた。感染原因が明確ではなく、実効性のある治療が確立されていない時代に隔離は事実上、死の宣告と同じだった。昭和28年にはらい予防法に引き継がれ、当時その根本的な社会の対処法はほとんど変わらなかった。

 また、社会的には昭和5年(1930)頃からに、全国的に無癩県運動が始まる。これは、地域内で患者を強制摘発し強制的に収容することで、自治体内からハンセン病患者を一掃する為の物で、強制摘発は患者本人だけではなく、摘発行為に抵抗するその家族にまで及ぶ激しい物であった。

(注.4)
 日本においては特に明治維新以降、隔離政策が強かった外国人居留者によるハンセン病患者無隔離の苦情が殺到した事も、ハンセン病患者隔離施設と法整備の必要を迫らせる要因と成った。


(注.5)
 国民優生法(1940)

第2章 - 優生手術(第3条~第13条)

本人又は配偶者の遺伝性精神病質、遺伝性身体疾患もしくはは癩(らい)疾患、血族の遺伝性精神病など者は優生手術を行う。また、医師がその疾患の遺伝を防止するため公益上必要であると判断した場合、都道府県優生保護審査会の審査を経て優生手術を行う。

(らい=ハンセン病に遺伝性は無い。)

(注.5)
 2004年に起きた施設職員の子弟に対する入学差別事件等を参照した。

(注.6)
「報知大島」阿部安成 2012、

(注.7)
 宗教とハンセン病治療には長い歴史が有る。光明皇后の逸話は仏教説話であり、日本においては中近世から現代までを通して、主に仏教者が患者救護の役割を果たした。近代以降、キリスト教もまた、強い役割を担う。宗教的な克己心によってしか、強烈な忌避意識を解決出来なかったという部分に、ハンセン病にまつわる深い懊悩が有る。
 ただ、現実的な視点から見て、自身の葬儀において血縁者の援助が受けられないという必要性から患者の入信が必要であったと言う面も強い。

(注.8)
「「霊交」第195号,1935年2月10日「金弐円也、香川、鹿角義助様」、「霊交」第208号,1936年「金弐円也、多度津、鹿角義助様」」等と記載が残る。




<span style="color:#666666">20.

 地震学の父と呼ばれる大森房吉。その後輩で後に地震の神様と呼ばれた今村明恒が、後年あまりにも仲悪しかった事は良く知られている。

 大森が帝大に勤務中の時間は、今村はほとんど大學に登らず、大森が帰る時間に成ると今村は帝大の教室に顔を出すと言う程、二人は接触を避けていた。大森は今村が極端に自らを避けている事を知りながら放置し、今村の能力は評価しつつも今村の研究者としての姿勢に厳しい態度を取り続けた。

 二人の論争は、明治29年(1896)6月15日に発生した明治三陸地震津波(注.1)(注.2)に端を発してこじれ始め、特に今村が総合誌「太陽」に明治38年(1905.9)(注.3)に発表した有名な防災論文「市街地に於る地震の生命及財産に対する損害を軽減する簡法」の騒ぎで決定的と成る。

 太陽掲載の翌年初旬の大衆紙によるセンセーショナルな報道によって、帝都に大地震近しと言う風説(注.4)を広げ、実際に関東地域で地震が群発したこともあり(注.5)、首都圏で社会的パニックを引き起こす事と成った。(注.6)

 該当の論文での今村の主張は、大都市における防災のあり方を述べ、今日的に見ても災害被害を最小限化する「減災」の視点から述べられる示唆に富んだ物だが、それが出されたタイミングは極めて悪く、また、実際に地震が起きたこともあり、今村への政界や官界そして何より学界からの批判が噴出する事と成った。

 この一連の騒動で政界・官界から帝大地震学教室への風当たりが強く成り、大森はその対応に追われる事と成る。

 大森は政府筋の要望等も有り、世情を沈静化させる為、「東京と大地震の浮説」を太陽に発表し、以降、大災害到来に対する社会的な鎮静と言う役割を担う様に成る。大森は強い語調で、「今後約五十年ノ内二、東京二大地震ガ起コリテ、二十万人ノ死傷者ヲ生ズベシ」とした今村の論を「浮説」として一蹴した。

 そして、先に記した大正3年(1914)の今村が太陽誌上で繰り広げる事と成った桜島噴火予知を可能か?とする論争や、大正4(1915)の房総沖群発地震での今村の発言によるパニックの発生の度に、今村が引き起こしたパニックや論争を、大森が大家として登場して鎮静させるというパターンが繰り返される事と成る。

 学界では今村が一般雑誌や新聞への寄稿を続けたこともあり、今村を金目当ての見せ物屋とする批判が噴出する。今村の出稿のタイミングは確かに商業誌の販売目的のニーズに引きずられる物でもあった。

 この頃既に、大森が今村を思う度合いは、ほぼ嫌悪に近い感情まで伴って居たと言われる。今村は自説で防災を述べ、述べる為に予見される被害想定を描き、その被害回避の為にこそ対策を説くのであるが、社会はその被害想定の強烈さにのみ怯え続けた。
 今村のその信念は極めて強固であり続け、周囲の説得に耳を貸さず大森を悩ませる。

 しかし、地震学を社会的に有効性のある学問としてその立場を確立したい大森にとっては、今村の行為はいたずらに世の中の不安を煽り、風説を流布する事で地震学の信用を傷つけ、その将来性を危うくする暴挙に映った。
 そして、現実に今村の行動は社会的パニックや不毛な論争を数多く引き起こしている。(注.8)

 同時に、ここには日本の世論に常に潜む大災害への恐怖が社会心理としてベースにある中で、その願望として「地震の予測と減災」という議論を捉えて、「予知」と曲解する世の中の背景が大きく存在していた。

 大正12年8月1日より開催された第二回汎大平洋学術会議に、大森は他の日本人出席者達とともにオーストラリアに渡った。

 大森はこの渡航で、決して体調が優れなかったが、精力的に会議に出席し、当時の世界最高峰の権威として発言を重ね国際的評価を得た。閉会後、シドニーで大事をとって少し休息する事となり、9月1日リバビュー天文台の昼食会にメインゲストとして招かれている。

 食後の和んだ雰囲気の中、1時9分。天文台を地震が揺らした。
 天文台台長ピコットに案内されて大森は天文台の地震計の前に立ち、昼食会の出席者らに「太平洋のどこかで、今、地震が起きております。」と落ち着いて伝えた。

 しかし、大森は地震計の波形や集まった情報を整理し愕然とする。
 データーは東京近辺で非常に大きな地震が起きた事を示していた。これが「関東大震災」であった。
 
 同日日本時間午前11時58分、三つの大きな地震が連動して5分間という長い時間、首都圏は激しく震えた。推定されている揺れはM7.9。神奈川県を主にして甚大な被害が発生し、死者・行方不明者10万5千余人、全半壊家屋20万余棟、焼失家屋21万余棟という大災害となった。(注.9)

 これを受け大森はシドニーより、急遽帰国する。
 しかし、大森にとってその衝撃は大きく、次々と入る大被害の情報に大森は心痛を深める。自身が発表し続けた大震災否定の言説が被害を拡大したのではないか?。その心労から病状は急激に悪化し、大森は帰国した後しばらくして人事不省となり、11月8日に息を引き取った。

 風説の流布を抑止する為とはいえ、関東首都圏での地震の発生を否定していた大森にとって、被害拡大を招いたのは自分だとする自責の念が、病に有った生命を激しく損耗させたと言える。

 大森の死後、予知を続けて来た今村は関東大震災を予見したとされ一躍時の人と成る。
 大正末頃から昭和初期にかけての日本の地震学を牽引する多くの優れた仕事を残し、日本地震学の中心的役割を担い奔走する事に成る。
 有名な防災故事である「稲むらの火(注.10)」を尋常小学校教科書に掲載させたのは今村の運動による物であり、彼は終生強い信念で、防災とその為の予知に心血を注いいでいる。

 しかし、日本が戦争に突入する事で震災情報は軍事機密化し、防災に関する情報体制や地震被害情報の分析も又、国家機密と成った。それまで今村が構築した地震防災のSystemはほとんど機能しなく成る。

 その結果、敗戦直前の昭和19年(1944)12月9日に発生した東南海地震(注.11)と、翌年1月13日に発生した三河地震(注.12)では、今村の提唱してきた建築物の耐震化や、消火インフラの整備の呼びかけ等が全く機能せず、さらに地震被害に箝口令がしかれた事で地震災害情報の早期連絡も行われず、被害がいたずらに拡大する結果を招いている。

 新聞やラジオはこの大災害をほとんど報道せず、報道されたケースも三面記事の小さな扱いに止めた(注.13)。こうしてこの大災害は、戦後、多くの人々が全く知らない幻の出来事として急速に風化した。

 さらに1945~46年にかけて戦争の惨禍が拡大し、その後の敗戦の混乱期に日本全土で激しい地震や津波、噴火災害が相次いだ(注.14)。この時期、日本中で驚く程の天災が連続する。
 そして、ついに敗戦後の昭和21年(1946)12月21日南海地震が発生。死者・行方不明者1554名、被災者23万268人と言う膨大な被害を出した。
 
 昭和23年(1948)1月1日、今村は閑居の中で死去するが、その脳裏には戦中・戦後の大災害に対する無力感が強く有り、失意の中の死である。

 「~自分は地震の予知には強い関心が有り、一生をその仕事に捧げて来たが、自分の努力は報いられる事は無かった。~」(注.15)と、今村は死の半年前の昭和22年(1947)7月の準備委員会の席上そう述べた。
 それは今村に似合わぬ力の無い言葉であったと同席者が感じたと史料に有る。
 
 こうして、日本の地震学の黎明期から青年期に当たる時代を支えた二人の大きな存在は、自然災害に打ちのめされ、何より社会の願望と時代の波に翻弄されながらその一生を終えている。
 その軌跡は最後まで震災と言うより、人間社会の軋轢によって強く揺さぶられ続けた。

つづく

次回終稿 「落葉に降りる霜」


 

<span class="small">
(注.1)
 明治29年(1896)6月15日に発生した明治三陸地震津波は、最大震度4が最高で有りながら、大きな津波を発生させた。
 岩手県綾里村で38.2mを記録、このレコードは平成22年(2011)の東北地方太平洋沖地震の津波被害まで破られる事は無かった。地震で被害はほとんどなく、典型的な海溝型の地震津波だったと言われる。
 被害は死者・行方不明者合計、2万1959人、負傷者4398人、家屋流失9878戸と、東北地方太平洋沖地震を上回る甚大な被害を発生させた。

(注.2)
 津波の発生原因について大森が「流体振子説」をとったのに対して、今村は「海底地殻変動説」を称え激しく反論した。当時、大森の独壇場に近いと言われた地震学界は圧倒的に大森の学説を支持した。自説に対して剛直な今村が、柔和で謹厳な大森に論戦を挑んだ事から、今村を学界の「問題児」として忌避する雰囲気が高まった。ただ、今日の目から見ると今村の「海底地殻変動説」に正しさが有る。<<雁金

(注.3)
「市街地に於る地震の生命及財産に対する損害を軽減する簡法」今村明恒 明治38年(1905.9)
「太陽」11巻12号  P162~171

(注.4)
「今村博士の説き出せる大地震襲来説、東京大罹災の予言」東京二六新聞記事、明治39年(1906)1月16日。

 新聞は記事の中で、今村の論文中の死傷者20万人とする被災シュミレーションをとり上げ、関東震災50年周期説を指摘し、古来より災厄の年とされる丙午である本年に地震が到来すると説いた。
 東京二六新聞(二六新報・世界新聞)は、時に大衆世論迎合の立場から政府への批判報道を繰り広げた事で知られる大衆紙である。東京二六新聞と萬朝報が発行部数の首位をめぐり報道合戦を展開した事は有名で、その事がセンセーショナリズムにより牽引された大衆世論への迎合の風潮を作りだした。結果、戦前日本メディアの検証性を脆弱化させプロパガンダ色を強める働きを示したと指摘可能である。<<雁金

(注.5)
 明治39年(1906)1月21日、三重県沖東方でM7.6。2月23日に、房総沖を震源とするM7.3。2月24日に、東京湾口を震源とするM7.7。これらの地震には前後して小さな地震が多く伴った。<<雁金

(注.6)
 明治38年(1905)9月5日に日露戦争戦後賠償を巡るポーツマス条約が締結された。しかし、その内容は極めて日本にとって不利な物と理解され、政府に対する国民の不満は爆発し、官邸や報道機関、警察署、キリスト教教会等が群衆により焼き討ちされるという所謂「日比谷焼き討ち事件」が発生している。この暴動で死者17名、負傷者500名を出した。キリスト教会に多くの被害を出したのは、周旋国アメリカのロシア迎合と言うべき態度に対する被害意識の転嫁とされる。

 都内は9月6日より戒厳令下に入り、戒厳令廃止は11月29日にようやく解けると言う実に長い物だった。そうした世情大混乱の中、今村が誤解を与えかねない論文をわざわざ一般総合誌に発表したタイミングを大森らは批判したともされる。ただ、今村にしてみれば排除された学界ではなく、世に問うという形しか残されても居なかった。<<雁金

(注.7)
 明治39年(1906)2月24日に中央気象台(気象庁)を名乗る人物が、大地震到来の予報とする電話を、中央官庁、警察、病院、報道機関、企業等に伝えた。この風説の流布が2月24日に首都圏脱出のパニックを巻き起こす装置と成った。日比谷焼き討ち事件との関連も疑われる謎の多い事件である。<<雁金

(注.8)
 桜島噴火に関する日本気象学界「気象集誌」(JMSJ)での、今村と後の第5代中央気象台長 藤原咲平との論争等。藤原は事実上、予知は不可能として鹿角義助を擁護し、鋭い舌鋒で今村の社会に与えた誤解を糾弾した。今村はこの事で気象業界から激しい追撃を受けた。このような論争が起きる度に、大森は鎮火に奔走した。藤原咲平の甥に新田次郎(藤原寛人)が居り、新田は鹿角義助について、短編小説「桜島」を発表している。

 今村の説は大森の興した地震計計測と計測結果に対する数理的解析を基にした計測学的な初期の地震学に、史学に基づいた周期説を付与した物で、それは極めて統計学的な反復的予測率に支配された物であった。関東大震災の予知については、今村は大正初期に60年周期説を称え首都圏をパニックに陥れおり、その説は当たらず、次の100年周期説論争後に震災が起きた。大震災後の翌年に大阪大震災予知を行いその事も世情を騒然とさせた。

(注.9)
「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1923年関東大震災」内閣府 平成18年7月

(注.10)
「稲むらの火」Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E3%82%80%E3%82%89%E3%81%AE%E7%81%AB

(注.11)
 昭和東南海地震。昭和19年(1944)12月7日、震源は熊野灘の沖20km。マグニチュードは7.9と推定される。死者行方不明 1223人。三重県熊野等では津波による6.3mの遡上高が観測された。
 愛知県を中心に津波と地震による船舶流失 1898隻、鉄道被害48、橋梁流失 61、特に三重北部・愛知・静岡の軍需工場に被害が多かった。この地震被害に対して米軍はプロパガンダ作戦(ドラゴーンキャンペーン作戦)を行っている。地震被害に箝口令が引かれたため過少報告により、実際にはさらに被害が有ったとする見方も多い。

(注.12)
 三河地震。昭和20年(1945)1月13日に発生。震源は三河湾。震源は浅く10kmと推定され、M6.8ながら大きな被害を出した。昭和東南海地震の余震又は誘発地震とする指摘がある。死者・行方不明者 3432人。家屋倒壊等は2万を越えるとされるがここでも過小評価の為、数々の異論が有る。この地震の実態については現在でも良くわかっていない。
 当時、京浜地域では日本の航空機の6割を生産しており、これらの工業地帯を壊滅させたこの二つの地震で、日本の敗色は決定的と成り航空機生産は頓挫する。被害規模はB29二万機による絨毯爆撃に匹敵したと史料は記す。

(注.13)
「隠された大震災」山下文男 2009 P24。朝日新聞縮刷版昭和19年12月。等に拠る。

(注.14)
 昭和19年から昭和22年にかけて日本中で大規模な地震災害等が相次いだ。実際に地震が活動期を迎えていた事、さらに台風等の当たり年だった事と、何よりこの期間は戦争中と言う非常時の情報統制による災害情報の伝達に致命的な問題が多く発生し、戦意喪失を懸念して被害情報が全く隠蔽されると言う状態を招いた。

 戦後も、社会混乱期と成り報道や国の体制が破壊されていた事に加え、GHQによる情報統制によって被害情報が遮断された。その結果、被害が拡大した事は事実である。天災と戦争等の社会運動の関連を考える上で大変示唆に富む事例と言える。しかし、情報が少ないこともあり、この時期の震災について社会での広い認知・議論がなされていない事が残念である。
 その結果、阪神大震災と東日本大震災までの期間の日本の拡張期に、この社会的な被害形態の反省が充分、社会Systemに生かされなかった事が、戦後国土計画における災害軽視思想を招き、今日の防災の難しい部分の明らかな原因と成っている。<<雁金

(注.15)
「地震学百年」萩原尊禮 1982 P132</span></span>



森林の国富論―森林「需要」再生プラン


雁金敏彦著





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