GDP4位 | 歴史の裏

GDP4位

 低落前提の制度設計を

 

抜かれ続けて二流国家に

 日本は国として崩壊しれようとしている。最近のニュースで国民にショックを与えたのは名目GDPがドイツに抜かれ4位になったことだろう。4位低落は分かっていたはずなのに、政治家も経済人もバブル崩壊後何もしないで失われた30年を無為に過ごし日本の長期低落を見過ごしてきた。今や日本は長期低落を前提にした国家設計をしなければならないのに、彼らリーダーはいまだに成長戦略を模索している。

 明治維新と第2次世界大戦による敗北を経て日本は経済大国として世界的地位を占めてきたが、これからはインドやインドネシア、ブラジル、ナイジェリアなどにも抜かれ二流国家に下がっていくだろう。日本は成長できないという前提で計画設計を迫られているのだ。

 

明治維新と敗戦

 幕末に開国へと踏み切った幕府に対し尊王攘夷を掲げる薩長が討幕を成し遂げた。最後の将軍慶喜がいち早く大政奉還したため、大きな内戦には至らず、日本はスムーズに統一された。もし、これが遅れていたら、アジア各国のように日本は英仏などが分断統治し植民地化されていただろう。世界の奇跡の1つである。攘夷の急先鋒だった孝明天皇が身まかったのも幸運だった。

 明治維新を成し遂げた回天の志士たちは実は討幕した後の日本の行く先を見据えていたわけではなかった。リーダーたちが欧米を視察に行ったところ、そこは驚天動地の文明があり、「攘夷」なんてできこないことを痛切に感じた。明治10(1877)年の西南の役で旧体制一掃に成功した新政府は、遅れているアジアから脱出し欧州に見習おうと「脱亜入欧」を掲げて先進国入りを目指し「追いつけ追い越せ」と富国強兵路線へ突進した。その路線は成功をおさめ、日清、日露戦争を経て見事先進国入りを果たした。

 それで悦に入った日本は無謀にも朝鮮半島から満州・中国大陸と東南アジアへ進出、ついに大東亜戦争へ。日本の拡大を懸念した欧米によって太平洋戦争へ突入する羽目になった。そして1945年敗戦、日本は元の木阿弥となり、アメリカによって強制的に反省させられ民主主義国家へと変身していった。

 

軽武装・経済大国

 その後は「軽武装」で経済一図に走り、GDP世界第3位の経済大国になった。しかし、それは身の丈以上だったことに気付かなった。日本の地価は急上昇、ニューヨークの摩天楼を日本企業が買いあさった。東京の土地だけでアメリカ全土が買えるほどのバブルになった。バブルがはじける直前、「もう欧米に学ぶものはない」とうそぶく経済人まで出た。90年代にバブルがはじけても、その成功体験から抜け出せず、「失われた30年」を迎えることになった。

 

弥縫策ばかり

 日本が低落し続けているのに、政官財のリーダーは泥縄式に弥縫策ばかり、日本を長期的に展望する人は皆無に等しい。日本の人口は落ち続け、2070年には8700万人になるとの推計がある。もう人口ボーナスはない。それなのに、アベノミクスをはじめ出てくる策は経済成長ばかり。それは線香花火のようにはかない夢だ。本来は長期低落を前提にした100年計画を立てなければならないのに、そうした意識あるリーダーはいない。

 過去の栄光を捨て、現状を真摯に見つめた国家100年の大計をつくらなければ日本が生き残れないばかりでなく、日本という国が消滅してしまう。私はこのブログで「日本の未来を拓く1000人委員会」を提唱した(2024.1.9)。アフリカは人口の中央値が19歳という若さ。今後人口が爆発的に増加し、今世紀末には世界人口の3分の1になるという推計がある。将来、アフリカに助けてほしいという時代が来るに違いない。なのに、日本はアフリカへの投資額が先進諸国の中で極端に少ない。こうしたことを含め日本の未来計画をつくらないと日本は生き残れない。