発達障害 続
発達特性
「発達障害」という言葉の悪意について書いた(2024.02.03)。最近では、発達障害の人がイノベーションを起こす原動力になると見直され「発達特性」と呼ぶ動きが出てきた。
ある意味、アインシュタインもベートーベンもピカソもビル・ゲイツもスティーブ・ジョブズも発達障害である。西洋哲学の祖ソクラテスも裸で街中を駆け回っていたという。釈迦は王位を捨てて出家して菩提樹の下で悟りを開いたといい、イエスもムハンマドも神の啓示を受けたと言っているから、今時に言えば「障害者」に違いない。しかし、そうした型破りの人がいなければ世の中は旧態依然として何事も進まない。天のひらめきやとてつもない思い付きが世の進歩を担ってきたのだ。そうした人たちを「発達障害」だとして排除していたら、進歩はない。当事者に取っては「発達障害」と言われるより、「発達特性」と言われる方がどんなにいいか、そしてその人の能力を引き出せるか。社会にとってもプラスになる。
発達特性こそ社会変革の力に
自閉症や注意欠陥多動性障害の人たちは自分の殻に閉じこもったり、周りのことにあまり興味を待たなかったりする人たちだが、自分の興味のある分野については集中力があったり、新しいことに挑戦したり、創造的思考力があるなどの特性がある。こうした人たちのことを「障害」とは呼ばず、「自己完結型・一点集中型」とか「直感型・突進型」とか「多興味型・損得無視型」「宇宙共鳴型・神秘型」特性と呼んだらどうだろう。私のような極端な不器用人間を「発達性協調運動障害」とは呼ばず、「着実・丁寧型」とか「職人型」特性と呼べば劣等感を持たずに済む。職人は不器用の人がいいともいわれている。要領がよくないから着実・丁寧に仕事をするのだろう。
多様性を尊重する社会こそ「誰も置き去りにしない」社会であり、行き詰まった社会を切り開いていく原動力になるはずだ。