原発か再エネか
人類の将来を考えよう
菅直人の功罪
ある懇談会で2011年の東日本大震災時の福島第1原発事故の話しになった。私は「菅(直人首相)さんがいなければ、今こうして私たちが酒を飲んではいられない」と話したが、他の人は「いや、菅がいたから事故対策が遅れた。最高司令官が現地を視察するなんてとんでもない」と言った。特に東京電力の幹部だった人は「首相が現場に行ったので現場は大混乱だった」と菅さんを非難した。私は「それなら菅さんによって対策が遅れたという証拠を出せばいいじゃないか」と言ったが、彼は「そんなことはできない」と言い訳した。
最高指揮官の菅さんが事故発生直後に現場を視察したことにより現場が混乱したということを役人や東電の人たちは言い募る。最高指揮官が現場を見ることは対策を取る為に必要ではないかと私が反論すると、「現場へ来たら現場が手を止めるから最高指揮官が現場へ行くことは絶対にあってはならない」というのが彼らの言い分だ。しかし、事故対応が国民を守るための戦争だとしたら、最高指揮官が現場を訪れたら戦いの手を止めるのだろうか。こんな戦争は負けるに決まっている。
東電が現場から引き上げようとした時、菅さんは撤退はまかりならんと強く指示した。この指示がなければ日本列島は放射能に汚染され、もしかすると人間が住めなくなっていたかもしれない。この意味で菅さんは近現代日本の最高の指導者だったというのが私の評価だ。それに対し菅さんが嫌いな人たちは猛烈に反発する。「イラ菅という通り、すぐに感情的になり正常な判断ができない」と非難する。しかし、当時の内閣にいた人によると、菅さんが嫌いだった役人たちは総理大臣の指示を無視して動こうとしなかったという。これが対策を大幅に遅れさせたことはあまり知られていない。
ほとんど報道されていないが、実は運転停止中だった4号機の使用済み核燃料の保管プールの水が蒸発して危機一髪だった。事故による機械の不具合から偶然水がなくならなかったもの、水がなくなっていたら大変な事態になっていただろう。
再エネは安定させられる
原発を推進する人たちは、再生可能エネルギーは安定しないから駄目だという。安定させる努力もしないで人類の未来を破滅に導いてもいいのか。岸田内閣は脱炭素社会実現へ原発の運転期間の最長60年を延長させるとともに、従来は「想定していない」としていた原発の新増設について、次世代の原子炉の開発や建設を検討する方向に舵を切った。
脱酸素社会実現に向けて世界は再エネへとシフトしている。ロシアのウクライナ侵略で一時頓挫したものの、再エネが時代の要請である。しかし、日本は再エネは不安定だとして脱炭素の主力を原発に切り替えようとしている。このブログで何度も指摘しているように原発開発に投じる何兆円ものお金を再エネに投じれば、風力と太陽光、地熱、波力・潮力、小水力などの小電力を組み合わせるとともに大容量の蓄電池を開発すれば再エネの安定供給は可能なのだ。北欧諸国がそれを証明している。
事故が起きれば自分たちだけでなく人類の未来もなくなってしまう危険な原発に頼るべきではない。政治家や経済人は目先の利益だけ追うのではなく、人類の未来に思いを馳せてほしい。