毎月統計不正 | 歴史の裏

毎月統計不正

能因法師がうつった統計職員

 

宮川公男氏の講演

 先日(427)、新宿の麗澤大学東京センターで統計学の権威である一橋大学名誉教授・宮川公男氏の「『統計不信』論議と日本の統計学の歴史」の講演を聞いた。統計についての考えを改めさせられた、まさに「目からうろこ」の話だった。

 

都にいて白河の関の歌

 厚生労働省の毎月統計調査に端を発した「統計不信」。本来、数字によって日本の正確な姿を表し政策を決める判断の基本となるべき国の様々な統計がゆがめられたという事態。不正が暴露された後、野党やマスコミは政府の高官が指示したなどという枝葉末節にとらわれていることに違和感を感じていた。宮川氏の講演を聞いて、根本的な問題を把握できた。

 百人一首に「あらしふく三室の山の……」を歌った能因法師には

 都をば霞とともに立ちしかど 

      秋風の吹く白河の関

という和歌がある。修行のため春霞の立つ1(旧暦)初旬に京を旅立ち、秋が忍び寄る7月初旬に陸奥の国の玄関口白河の関に着いたという歌だが、実は彼は京都からは一歩も出ずに詠んでいる。それがバレないよう、家にこもって肌を日焼けさせていた。問題になった毎勤統計は調整員を現場に派遣せず、郵送調査をしていた。もっとひどいのは大阪府の小売物価統計で、調査票を自分で記入していた。まさに能因法師が現代によみがえったといえよう。

 

「アベノミクス成功」を見せかける

 統計は福沢諭吉や大隈重信が「国勢を一目で明らかにするもの」として導入を力説して始まった。森鴎外も統計は国家の基本だと強調している。アベノミクスの評価指標となる賃金水準の下向を修正するため、賃金の低い企業を外し高い企業を入れれば賃金が高くなり、アベノミクスが成功したように見える。政治をどういう形にするのか、統計はそのためにあるはずだが、現代の政治家も官僚もその基本を外してしまったといえる。統計が信用できなければ、国家そのものが信用できない。GDP(国内総生産)とか国民の平均年収なんて言っても、素材が変わってしまっては日本そのものが信用されなくなる。

 

「平均」も信用できない

 宮川氏によると、平均というのも信用できないという。平均とは普通「真ん中」と思われがちだが、そうではない。例えば日経平均株価を専門家は重視しなくなっている。上場されている225銘柄のうち、2万円以上はユニクロの6万円1株だけ、残りの224銘柄は2万円以下。ユニクロが平均を押し上げている。国民の平均年収も貧富の差が激しくなると、富裕層と貧困層が突出していて「真ん中」がほとんどいない。あらゆる統計が分母と分子に何をとるかによって統計数値は変動する。今こそ、「政策を進めるための統計」という基本に立ちかえるべきだという。