体罰禁止条例
体罰と暴力は別
東京都が、開会中の都議会に提出する予定の保護者の体罰禁止を規定した虐待防止条例案を巡って論議が起きている。都道府県では初めての条例だが、国も親の体罰禁止の法制化の検討し始めたという報道がある。この論議を聞いていて違和感を持った。「愛情の表現として体罰はいい」とか「体罰の限界はどこか」などとエラい先生方がもっともらしいことを言っている。しかし、私はこの論議には根本的な問題が抜けていると思う。それは「体罰」と「暴力」は別だということである。
学校での体罰は学校教育法第11条で禁止されているから、体罰をする先生は法を犯していることになる。しかし、「少しぐらい厳しくしてもらってもいい」とか「熱心のあまり」とか弁護する声が保護者からも聞かれる。だが、そうしたケースは「体罰」ではなく、単なる暴力の場合が多い。「体罰」は子供のために意識を以ってやる行為である。例えば「立っていろ」とか「グラウンド10周してこい」などである。生徒の言動に腹を立てて殴るのは「体罰」ではなく、「暴力」である。こうした暴力に学校や保護者が寛容なばかりでなく、本来は取り締まりに当たるべき警察も校内の出来事に寛容すぎる。もし、その先生が同じ行為を自宅周辺でやったら暴行罪で検挙されるだろう。学校は治外法権ではないはずだ。
しつける親は冷静だ
家庭内でもそうだ。親が愛情を以って「体罰」を科する場合、親は冷静である。物置や押し入れに閉じ込めたり、お尻ペンペンをしたり。しつけとして意識を以ってやっている。そして、大丈夫かどうか時々様子を見に行ったりする。親の言うことを聞かないからカーとなって手や足、道具を使って殴るのは単なる「暴力」である。暴力は保護者でも教師でも絶対的に否定されなければならない。しかし、他人である教師と違い愛情あふれる親が本当の意味で「体罰」を科すことは家庭内ではあってもいいのではないか。一律に「体罰禁止」ということは、親の愛情さえ否定することにはならないだろうか。