北上夜曲と安藤睦夫①
2007年1月9日に北上夜曲の作曲者・安藤睦夫さんが亡くなられたのをきっかけに、3月8日のブログで、「安藤睦夫さんのこと」を書いた。11年前のことなのに、ここ数年、アクセスのトップを占めている。理由は分からないが、それほど人気があるなら整理して再録してみようと思った。ぜひ、お読みください。
歌声喫茶で歌われ
匂い優しい白百合の
濡れているよなあの瞳
想い出すのは想い出すのは
北上河原の月の夜
この北上夜曲は作者不詳のまま1950年代後半に、新宿の「灯」など全国の歌声喫茶で盛んに歌われていた。60年安保共闘世代にとっては懐かしい歌だろう。作詞・作曲者が分かったのは1961(昭和36)年。サンデー毎日が「川は生きている」という企画で北上川を取り上げ、その中に北上夜曲の歌詞が出ていた。それが間違っていたので、作曲者の安藤睦夫さん(2007年1月9日死去)が名乗り出て、作詞は岩手県江刺市(現奥州市江刺区)の菊地規(のりみ、1989年死去)、作曲は岩手県種市町(現洋野町)の安藤睦夫と分かった。もし、歌詞が間違っていなかったら、作者不詳のままだったかもしれない。どうしてそんなことになっていたのか。1986(昭和61)年から4年間の盛岡在任中、安藤さんや菊池さん、作家の三好京三さんに会って話を聞く機会があったので、秘話を紹介したい。
白鳥夫婦愛
岩手県南部の一関市の磐井川は白鳥が飛来する川として有名。私が赴任する直前の4月5日、越冬していた白鳥たちは北へ飛び立っていった。1羽だけ飛び立てない白鳥がいた。3月中旬に電線にぶつかって羽を傷つけたらしかった。その6日後、1羽の白鳥が舞い降り、傷ついた“妻“を守るように寄り添っていた。ところが、夫は守り疲れたのか、20日朝、死んでしまった。オスが死んだとき、涙を流した市民も多かった。白鳥はオシドリに劣らず、夫婦、親子の情がこまやかだという。「鴛鴦の契」と言われるオシドリは、実は一生のうちにつがいが何度も変わる。しかし、白鳥は一生、同じつがいが代わらないという。本当は「鴛鴦の契」はウソで「白鳥の契」こそが真実なのだ。
この愛のドラマを毎日新聞が全国に伝え、多くの人々に感動を与えた。全国から問い合わせが相次ぎ、励ましの手紙や寄金も相次いだ。ニュースで知った千葉県木更津市の村越利一良さんから「白鳥夫婦愛」の詞が毎日新聞へ寄せられた。村越さんは拓大紅陵の校歌など約1500曲の作詞をしている人。「春は逝くかよ 流れる水の~」で始まる哀調あふれる詞だった。私はこの詞に曲を付けたくなった。たまたま知り合いが「私の岳父が北上夜曲の作曲者の安藤睦夫で、県北の種市町に住んでいる」と言っていたのを思い出した。思い切って電話してみた。「お金は出ないけど、作曲しませんか」。実は安藤さんもニュースを見て作詞を始めていたといい、私の厚かましい願いを快く引き受けてくださった。こうして「白鳥夫婦愛」の歌ができた。