映画「タリナイ」 | 歴史の裏

映画「タリナイ」

1945餓死した父の戦場へ慰霊の旅

 

 映画「タリナイ」試写会を814日夕、日本記者クラブで観た。言葉では表しにくい静かで深い衝撃だった。

 2次大戦中、マーシャル群島ウオッチェ環礁。美しい南の島で戦争末期、1960人の兵隊が戦死した。しかし99%以上は餓死だった。その1人・佐藤冨五郎さんは1945年4月26日に39で死去したが、死の数時間前まで日記を綴っていた。命を落としてゆく戦友や衰弱していく自分の姿、家族への遺書が残された日記は、奇跡的に生き残った戦友により家族に届けられた。冨五郎さんの死から73年後、息子の勉さん(74歳。宮城県亘理町)が父の足跡を歩く姿を追ったドキュメンタリー。

 

日本軍に放置された部隊

マーシャル諸島の本部が米軍の手に落ちた後、ウオッチェ環礁の部隊は放置され、補給が途絶えて兵隊は日に日に弱っていき、次々餓死していった。撮影の中で、戦時中は島民が島から泳いで近くの島へ脱出したという話があった。「戦闘を避けるため?」との問いに「日本軍から逃れるため」との答え。「食料が尽きると、日本軍は島民を……」。それでも、碧水の海に囲まれた環礁の島で佐藤さんを優しく迎えてくれた。ウオッチェの人々の静かな暮らしを映し出しながら、父の足跡をたどって慰霊の祀りをする勉さん。海軍第64警備隊の本部や、島の各地に残る砲台跡、錆びついた大砲などが戦争の記憶を映し出す。塹壕で遊ぶ子供たち、島人が弾く朗らかなウクレの音に合わせ、「コイシイワ アナタハ……」の日本語の歌。その乖離が何とも言えない。

大川史織監督は2007年、マーシャル群島で聞いた日本語の歌に心奪われ、2011年、慶大卒業後に、首都マジュロに移住した。「タリナイ」が初監督作品。「タリナイ」とは「戦争」「けんか」を意味する現地語。現地には日本語に由来した言葉が多く残っていた。