白鵬の黒星 | 歴史の裏

白鵬の黒星

横綱の品格って

 

 大相撲の横綱・白鵬が初場所3日目の116日、平幕の北勝富士に初黒星を喫した。やはり!? 予感は当たった。幕内優勝40回を誇る大横綱でも得意技を禁じられたら負ける。当たり前のことだ。

 

得意技を禁じられたら

昨年12月の臨時の横綱審議委員会で、立ち合いでのかち上げや張り手を批判されたから、今場所はやめている。相撲の技にあるのに、横綱が使うと品格がなく、下位の力士が使っても品格は問題にされないのか。こんなことをいうスポーツは見たことがない。野球の大投手は「バッターが打てる位置に投球すべきだ」とか、サッカーの名キッカーは「ゴールキーパーが取れる位置にキックしろ」というようなものだ。

 

在位63場所になって

こんなことを言うと、相撲通とか相撲評論家のエラい先生方は「相撲は他のスポーツとは違う。国技だ」とか「横綱は、横綱大関と言って大関の中から力量、品格に秀でたものが推挙される」なんて言う。ふざけちゃいけない。横綱としての品格がないというなら、昇進時に張り手やかち上げを使う力士は横綱にしないと決めればいいじゃないか。それを、歴代1位タイ記録の横綱在位63場所になって「品格に欠けるなんて」と言って事実上禁止するなんてフェアではない。得意技を禁じられた白鵬の負けが込んできたら「横綱としてだらしがない」と非難するに決まっている。

 

ファンあっての相撲

昨年の九州場所での優勝インタビューで白鵬が観客と一緒に万歳をしたことも日本相撲協会から注意された。しかし、テレビで見ていると、確かに違和感はあったものの、観客は喜んで万歳三唱していたではないか。相撲協会のエラいさんたちは、あの現象をどう見ているのか。相撲は木戸銭を取ってみてもらう見世物だ。ファンあっての相撲であろう。「国技」とか「神事」とか「日本の文化」というなら、そうしたことになじみのないモンゴルなど他国から強い力士を連れてこず、国内の弱い者同士で、シコシコとやればいいじゃないか。それで人気が落ちても「国技」や「日本文化」が守れるなら本望だろう。