塔婆供養 | 歴史の裏

塔婆供養

 条例で禁止?

 

「お盆」とは

 太極拳の例会で、お盆の話題が出た。「お盆は何日から何日まで」などの疑問が出た。「お盆」は先祖を祭る日本の伝統的行事で、日本古来の祖霊信仰と仏教が融合してできた。かつては全国の家庭でお盆行事が行われていたが、最近では「お盆休み」だけが興味だという人が増えているようだ。本来は旧暦の715(今年は95)前後に行われていたが、明治になり暦が太陰暦から太陽暦に改まったことで、太陽暦の7月下旬と新暦から1カ月ずらした815日頃に行われるようになった。「旧盆」は太陰暦で行われるものだが、夏休みとの関係で、月遅れ盆を「旧盆」と勘違いしている人が多いようだ。

 釈迦の弟子で神通第1と言われた目連尊者が餓鬼道に落ちている母の姿を透視し、715日に十方(じっぽう)母親を餓鬼道から救ったという説話が盂蘭盆(うらぼん)経に出ている。日本では通常、13日に祖霊が迷わないように「迎え火」を焚き、16日に「送り火」を焚くことが多い。祖霊が家にいる間はお供え物をする。長崎や熊本などでは新盆を迎えた家は、提灯や花などで飾られた精霊船を流す。船からは爆竹が破裂し、にぎやかだ。私が勤務していた盛岡でも盛大に「舟っこ流し」をやっている。長崎の影響だろうか。

 

卒塔婆の由来

 太極拳の会では、お盆行事が廃れてきた話題に関連して「塔婆供養もしなくなった」という人がいた。彼女は「条例で禁止しているところもある」と言った。私は「回収しろということではありませんか」と聞いたが、その人は「新宿区では、塔婆が燃やされるから、条例で禁止しています」と言って聞かない。「そんな条例はつくれません。憲法違反ですから」と反論した。その場は、それ以上言わなかったが、帰って調べてみると、新宿区の条例集に塔婆に関するものはなかった。全国の自治体にも塔婆に関する条例はなかった。

このことを報告すると、彼女は「東大久保周辺のお寺が申し合わせたのかもしれない。信者に納得させるために、条例で禁止されたと言ったのかも」と譲った。彼女の菩提寺は浄土真宗だというから、本来は塔婆供養を行わないが、檀徒が望めば要求に応じていたのだろう。しかし、塔婆を放置したままの人が多く、ホームレスなどに燃やされるので「条例で禁止されました」と言ったというのが真相なのだろう。

塔婆を禁止することは、神道で玉串や真榊を禁止することであり、キリスト教ならクルスやロザリオを禁止するのと同じだから、禁止の条例は憲法20条の「信教の自由」違反になる。20条第2項には 「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式、又は行事に参加することを強制されない」と規定されている。とすれば、国や地方自治体は、これらを強制的に禁止することもできない。宗教を気休めや仕来りとしかとらえられない日本人は、宗教上の問題を深刻に考えないのだろう。

 

「草木成仏」の原理が基

 塔婆は「卒塔婆」から来た。卒塔婆はサンスクリット語の「ストゥーバ」を漢訳したもので、古代インドで釈迦の遺骨(仏舎利)を収めた「仏塔」を意味した言葉。五重塔の起源だといわれる。日本では、その形を板にして板塔婆として先祖供養に用いるようになったらしい。だから、五重塔に似せた五輪塔の形になっている。五輪はこの世を形づくっている要素とされる五大(地水火風空)を表わしている。卒塔婆には戒名、命日、施主名、経文、立てた年月日などが書かれ、納骨や法要の時に亡くなった人のために立てる「卒塔婆供養」が行われるようになった。

仏教には「草木成仏」という原理があり、経文を書いた板が読経によって成仏するから、それを供養することによって故人も成仏できるという理屈から塔婆供養が行われるようになったものの、最近では単なる儀礼になり、寺院の金儲けの手段になっているのが実情。ほとんどの宗派で用いているが浄土真宗では使わない。