道は誰のものか
車に譲らなければならないのか
きょう、駅に急いでいた時、「ピーっ!」と後ろから鋭い警笛を鳴らされた。ビクっとして心臓の鼓動が激しくなった。住宅地の道は、1車線か、せいぜい2車線。もちろん、歩車道の区別はない。普段は自動車どころか、人通りもほとんどない。だから、道の真ん中を歩く。後ろから車が来れば、エンジンの音で道の脇に避ける。ところが、きょうのように、エンジン音が聞こえないこともある。静かに警笛を鳴らせば、道を譲ってやる。だが、「俺が通る」とばかりに鋭い警笛を鳴らされると、頭にくる。
道は元々、人が通るために造ったはず。車は後発である。でも、車社会になって、車が通るための道を造り、人間は歩道を歩くようになった。しかし、住宅地では、そういう道路は造っていない。だから、人が車に譲る必要はない。でも、車に轢かれたら大変だから、防衛上、譲っている。人が歩いていたら、車はその後をついていけばいい。だって、列車に乗る時やチケットを買う時に、「俺は急いでいるから、お前はどけ!」と言う人がいるか。それはマナー違反である。どうして道路では車が傍若無人にまかり通るのか。不思議でしょうがない。
欧米人が日本に来てびっくりすることの1つに横断歩道橋がある。なぜ、日本では車のために人が上に回らなければならないのか。人より車の方が大事な社会なんて信じられないのだという。
きょう、駅に急いでいた時、「ピーっ!」と後ろから鋭い警笛を鳴らされた。ビクっとして心臓の鼓動が激しくなった。住宅地の道は、1車線か、せいぜい2車線。もちろん、歩車道の区別はない。普段は自動車どころか、人通りもほとんどない。だから、道の真ん中を歩く。後ろから車が来れば、エンジンの音で道の脇に避ける。ところが、きょうのように、エンジン音が聞こえないこともある。静かに警笛を鳴らせば、道を譲ってやる。だが、「俺が通る」とばかりに鋭い警笛を鳴らされると、頭にくる。
道は元々、人が通るために造ったはず。車は後発である。でも、車社会になって、車が通るための道を造り、人間は歩道を歩くようになった。しかし、住宅地では、そういう道路は造っていない。だから、人が車に譲る必要はない。でも、車に轢かれたら大変だから、防衛上、譲っている。人が歩いていたら、車はその後をついていけばいい。だって、列車に乗る時やチケットを買う時に、「俺は急いでいるから、お前はどけ!」と言う人がいるか。それはマナー違反である。どうして道路では車が傍若無人にまかり通るのか。不思議でしょうがない。
欧米人が日本に来てびっくりすることの1つに横断歩道橋がある。なぜ、日本では車のために人が上に回らなければならないのか。人より車の方が大事な社会なんて信じられないのだという。