賢人の条件
八風に侵されない
仏教では「八風」に侵されない人を賢人という。八風とは、仏地経論巻五によれば、利(うるおい)、衰(おとろえ)、毀(やぶれ)、誉(ほまれ)、称(たたえ)、譏(そしり)、苦(くるしみ)、楽(たのしみ)。「利」は利益を得て潤うこと。「衰」はさまざまに損をすること。「毀」は世間から軽蔑されること。「誉」は世間からほめられること。「称」は人々から称えられること。「譏」は人々から悪口を言われること。「苦」は心身が苦しむこと。「楽」は心身が楽しいこと。この八風は心身を扇動し人間としての正しい道を歩むことを妨げるように働く。利、誉、称、楽の「四順」と、衰、毀、譏、苦を「四違」に分ける。人々は四順を愛欲し、四違を忌避しようとするため煩悩に悩まされる。この八風に左右されない人を賢人としている。
苦しみや衰えなど四違に人が負けてしまうことは分かりやすいが、潤いや楽しみが人を惑わすことは理解しづらいかもしれない。人は状況に左右されやすいから、利益を得たり、人にほめられたり、名誉を受けたり、楽しみに没頭したりすると、その一時的な環境に流されてしまいがちだ。こうした毀誉褒貶、利害得失に流されず、正邪を判別し、本質を把握しながら人生を歩める人が真の賢人だということである。
仏教では「八風」に侵されない人を賢人という。八風とは、仏地経論巻五によれば、利(うるおい)、衰(おとろえ)、毀(やぶれ)、誉(ほまれ)、称(たたえ)、譏(そしり)、苦(くるしみ)、楽(たのしみ)。「利」は利益を得て潤うこと。「衰」はさまざまに損をすること。「毀」は世間から軽蔑されること。「誉」は世間からほめられること。「称」は人々から称えられること。「譏」は人々から悪口を言われること。「苦」は心身が苦しむこと。「楽」は心身が楽しいこと。この八風は心身を扇動し人間としての正しい道を歩むことを妨げるように働く。利、誉、称、楽の「四順」と、衰、毀、譏、苦を「四違」に分ける。人々は四順を愛欲し、四違を忌避しようとするため煩悩に悩まされる。この八風に左右されない人を賢人としている。
苦しみや衰えなど四違に人が負けてしまうことは分かりやすいが、潤いや楽しみが人を惑わすことは理解しづらいかもしれない。人は状況に左右されやすいから、利益を得たり、人にほめられたり、名誉を受けたり、楽しみに没頭したりすると、その一時的な環境に流されてしまいがちだ。こうした毀誉褒貶、利害得失に流されず、正邪を判別し、本質を把握しながら人生を歩める人が真の賢人だということである。