裁判員裁判判決破棄
子殺しは刑が軽い?
検察側の求刑の1・5倍の量刑判決を出した裁判員裁判の上告審で、最高裁は7月24日、原判決を破棄。1歳児を虐待死させた父親に懲役10年、母親に8年(1、2審はいずれも15年)を言い渡した。最高裁は裁判員裁判について「他の裁判結果との公平性が保たれた適正なものでなければならず、過去の量刑傾向を共通認識として評議を深めることが求められる」との初判断を示した。要するに、これまでの裁判で築かれた「相場」を尊重せよということだ。しかし、これでは市民感覚の反映を求めて導入された裁判員裁判の意味はなくなるのではないか。
裁判員裁判では、求刑超えの量刑判決が増え、厳罰化の傾向が見えるという。それが市民感情なのかもしれない。それなら、プロの裁判官はこれまでの判決に対し反省すべきであろう。特に、今回の最高裁判断に対し私が注目したのは親による児童虐待死に対する判断である。
親の子殺しは許されていた
旧刑法では、子が親を殺すと尊属殺人罪が適用され、通常の殺人罪より重い死刑または無期懲役となったが、親が子を死なせる犯罪にはほぼ全てに傷害致死罪が適用された。旧刑法は1995(平成7)年に改正されたが、その後も、親が子を死なせた場合は刑が軽かった。最高裁の重視する「相場」には、そうした背景がある。さらにさかのぼれば、江戸時代には間引きをはじめ親の生活を維持するために子供を殺すことはそれほど珍しくなく、罪の意識は薄かった。旧刑法はそうした日本の風土を踏まえた法律だったから、親の子殺しが一般殺人に比べて軽い刑になっていた。
今回の事件は大阪府寝屋川市で10年1月に三女の頭を平手で強打し、急性硬膜下血腫で死なせてしまった。罪名は「傷害致死」だったが、長い間の虐待の末の暴行によるもので、1審判決は「殺人罪と傷害致死罪の境界に近い事件」として懲役15年を相当とした 。裁判に参加した裁判員たちは「子供は親しか頼る人がいないのに、その親に殺されことは許されない」という市民感情の発露だった。最高裁の裁判官は、「相場」にこだわるだけでなく、こうした歴史的背景や市民感覚をきちんと考慮したのだろうか。