煩わしい | 歴史の裏

煩わしい

子供の声は騒音か

15キロ離れた公園で毎朝6時10分から1時間足らず、7種類の体操をしている。ある朝、斜め後ろの女性に、遊びに来ていた孫が数人ついてきた。その女性の髪にセミの抜け殻がつかまっていたので、子供たちが歓声を上げた。すると、「ウルサイ!」という怒声が聞こえた。驚いて振り返ると、60代後半と思われる男がいた。つい「お前の声の方がうるさい」と言おうかとしたが、怒鳴った男を見ると、不満で凝り固まっているような顔だったから、止めた。逆ギレして殺されても何の役にも立たない。近くのおばあさん方は「あの人は孫がいないのかね」と言い合っていた。多分、定年退職してから健康のため公園の体操に来ていたのだろうが、それまで子供の声なんて聞いたことがなかったのだろう。


そういえば、朝の体操でかける音楽がうるさい、という苦情が近隣の家からあったという。早朝だから目を覚まされるのかもしれないが、一番近い家でも音楽を流すラジカセからは50㍍以上離れている。うるさいと言ってもたかがしれているだろう。毎朝の体操で健康を維持している人たちのことには思いが及ばないのだろうか。音がうるさいなら、公園のそばに家を構えなければいいのに、と思うのは、健康を維持したい側のエゴか。

近隣ともめごとを起こす原因は、ゴミやペットより「騒音」が一番多いという。特に都市部では、保育所・幼稚園への苦情が多い。このため、園庭を半地下にしたり、民家に面した方には窓を作らないなどの苦労があるのだという。私は子供の喚声や泣き声を聞くと、かえって頬が緩んでしまうが、そうでもない人も多いのだろう。でも、私は言いたい

日本の将来はあなた方が嫌がる子供たちが担い、あなた方の老後もこの子供たちが支えてくれるんですよ。少しぐらいのことは我慢できないんでしょうか