七時雨山
自然と山と風と
七時雨山(なんしぐれ)の風は爽やかだ。緑の海をくぐって吹き上げる風は、色さえ緑のように思われる。「ナナシグレ」。優しい響きを持つ山は八幡平市の標高1063㍍の山。東北自動車道を北上すると、右手奥にラクダが寝そべったような、双耳峰の美しい片流れの山容が望める。ふもとの田代平一帯は牧場が広がり、岩手短角牛がのんびりと草を食む。空にはパラグライダーが舞い、アルプスのチロル地方を思わせる風景に、訪れる人は「日本にこんなところがあったの?」と魅力にとりつかれる。
日に7度雨が降る
牧草地のはずれに山の登り口がある。ブナの落ち葉が厚く敷かれ、足の裏を押し返してくる。紫色のエゾエンゴグサが足元にひっそりと咲き、ニオイコブシの白い花が目を楽しませてくれる。まだ雪が残る季節には麓ではボッケ(フキノトウ)が取れ、春が深まると山中には根曲がり竹(姫竹)が群生している。頂上からの展望は格別。南西に岩手山の勇姿、南東にはたおやかな姫神山。岩手山の西には八幡平、はるか北には八甲田の白い、山なみと360度の展望が楽しめる。
寛政2(1790)年の「北行日記」(高山彦九郎)に「七時雨を越えるとき、風烈しく稀にある所の梢を見るに、落ちしてぞありける。日に七度時雨るとて、七時雨と名付けたりなん聞く」とある。この名山は、一日の天候の変化が多い。晩秋から初冬にかけては通り雨が山容を隠したり現したり、そこが魅力をかき立たせてもくれる。
リゾート開発の危機を免れ
この素晴らしい自然があるから、リゾート地には最適と開発の危機に襲われたときがあった。バブル最盛期に大手商社が七時雨山を中心とした約3千ヘクタールにスキー場、ゴルフ場や別荘地を造成し、人造湖を造って湖畔にはヨーロッパの古城風建物を建てるという、計画だった。
この開発計画を聞いて、横浜に住む童話作家・桜井道子さんはびっくりした。地図で七時雨山を見つけ、地名の優しさに惹かれて登ってから七時雨のトリコになってしまった。開発計画をなんとかしなければと「七時雨の自然と語らう会」をつくり、自然観察会やコンサートを開いた。幸い、開発計画はバブル崩壊でポシャってしまい、結果として七時雨の自然は守られている。
周囲7キロ人家なし
七時雨山のふもとの田代平には鉱泉が出る。そこには七時雨山荘というロッジ風の鉱泉宿がある。中は学生向けの合宿所といった感じだが、周囲の景観は何物にも代え難い。宿泊すると、夏の夕食は母屋から約50㍍離れたバーベキューハウスで摂ることが多い。あるとき、空が真っ黒になって夕立が激しくカミナリの音も聞こえた。食事時になっても夕食が始まらない。周囲7キロ民家なしで、落雷が危ないので、夕食の案内ができないという。雷鳴が止むまで待たざるを得なかった。夕食が遅れたことよりも、大自然の中での生活に逆に感激した。
七時雨山荘は昼間喫茶もやっているのでブラッと立ち寄ることもできるのに、岩手県内の人でも知っている人は少ない。ぜひ、立ち寄ってみてはいかが。ただし、冬期間は雪のため道路は通行止め。毎年、ゴールデンウイークから通行可能になる。