尖閣への上陸 | 歴史の裏

尖閣への上陸

中国人へどうPRするか

8月19日に尖閣諸島の魚釣島に東京都議ら10人が上陸した。15日に香港の団体メンバーが上陸、合計14人が逮捕された事件に刺激されてのことだろうが、中国では20都市以上で反日デモが発生し、日中関係は再び緊迫の度を強めている。

歴史的には疑いない

尖閣諸島が日本固有の領土であることは歴史的に見て間違いない。日本が尖閣諸島を領土の編入したのは1895(明治28)年1月14日。この時期は日清戦争の最中だから、その措置には多少の疑義があるものの、その後、中国も台湾もそれに異議を唱えていないからだ。1951(昭和26)年のサンフランシスコ講和条約の際も、尖閣は日本の放棄領土に含まれず、アメリカの施政権下に置かれたが、中国、台湾とも異議を唱えなかった。1972(昭和47)年の沖縄返還の際も、尖閣は返還された地域に含まれていた。中国と台湾が自国の領土と主張し始めたのは、1968(昭和43)年、国連アジア極東委員会が尖閣を含む東シナ海の大陸棚に石油資源が埋蔵されているとの報告を出してからだった。

この歴史的事実を踏まえれば、尖閣の日本領は明確である。中国の指導陣はこの事実を熟知しているはずでだが、尖閣はじめ反日政策は国内の主導権争いの道具になり、一般民衆には歴史的事実は知らされていない。一般の中国人は「尖閣は中国の領土である」と教え込まれ、信じて疑わない。だから、尖閣へ上陸した香港の民間団体のメンバーは帰国すれば英雄として歓迎されたのだ。これに対し、日本政府は確固とした見識を持たず、その場しのぎの対応でやりくりしているから、中国政府に足元を見られる。

上陸前になぜ捕捉しなかったのか

だいたい、尖閣へ上陸する前、領海侵入した段階で領海侵犯により香港の漁船を捕獲しなかったのか。訳知りのコメンテーターは「海上保安庁の勢力を増強する必要がある」など解説するが、そんなことはない。その証拠にメンバー上陸後に漁船を捕捉し乗員を逮捕したではないか。これは上陸前でも出来た証拠である。海上保安庁は日本海で韓国の密漁漁船に対し強行接舷して停船させるというノウハウを積み上げている。現有勢力でも漁船1隻の捕捉なんて朝飯前の仕事である。だから、政府は、まず上陸されて警察官に逮捕させるというシナリオを書いていたのだろう。

相手の資料で勝負しよう

さて、「尖閣は中国領土だ」と刷り込まれ、信じて疑わない中国、香港、台湾の市民や活動家にどう対処すればいいか。少なくとも逮捕したら直ぐに強制退去させるのではなく、しばらく日本に留め置いて、マインドコントロールを解くよう努力したらどうか。喧嘩をするとき通常は自分の土俵で取るのが有利だが、今回のように相手がマインドコントロールされている場合は相手の土俵で相撲をとった方がいい。前述の歴史を解説しても、相手は日本の勝手な解釈だと言って、取り合わないだろう。だから、中国政府などが過去に、尖閣は日本の領土であることを明示した資料などを示せばいいのだ。明らかになっているだけで、次の4つがある。

 

953年1月8日、 中国共産党機関紙「人民日報」が資料欄で「琉球群島人民のアメリカによる占領に反対する闘争」と題した記事を掲載。尖閣諸島を日本名で「尖閣諸島」と表記し、琉球群島(沖縄)を構成する一部だと紹介している

 ②195811月、北京の地図出版社、『世界地図集』発行。尖閣諸島を日本領として扱い「尖閣群島」と日本名で表記。

196510月、中華民国国防研究院、『世界地図集第1冊東亜諸国』初版出版。尖閣諸島を日本領として扱い「尖閣群島」と日本名で表記

1970年1月、中華民国の国定教科書「国民中学地理科教科書第4冊」で、尖閣諸島は日本領として「尖閣群島」という日本名で表記。

 だが、こういう説得もマインドコントロールされている相手にはなかなか通じないかもしれないが、自分たちが得た情報以外の情報に接すれば活動が鈍るかもしれない。同時に、初犯は見逃してやったが、再犯は厳重に処罰することを本人だけでなく、中国政府にも通告した上、日中友好は崩さないよう両政府でコンセンサスを得るような努力を続ける。