報道災害
結果を非難するだけですか
知人から感想を求められて、上杉隆・烏賀陽弘道両氏による「報道災害【原発編】」(幻冬舎新書)を読んだ。自分はカヤの外にいて結果を非難するのはまともなジャーナリストのすることではないというのが率直な感想だ。昨年3月11日の東日本大震災と福島第1原発の事故で福島県を中心に未曾有の大災害となった。彼らは、最初の1週間が勝負であり、その間、既存メディアは政府と東電の発表だけを垂れ流し、被災者に甚大な被害を与えた。既存メディアは人殺しだという。では、その間、彼らは何をしていたのか。
「最初の1週間、仕事を止め、あらゆるところに電話をかけまくって、ずっと(官邸の記者会見に入れろと)申し入れをし続けて、本当に精魂つきはててしまった」(32ページ)のだという。なんのことはない。彼らがいう「勝負の1週間」に現地へ行って被災地や原発の放射能漏れの実態を取材に行っていたのではなく、「人殺しの情報」と彼らがいう記者会見に入りたくて交渉し続け、被災者や一般国民のために何もしなかったということになる。これでは、「人殺しはどっちなのか」と反論したくなる。しかも、上杉氏は4月にはゴルフ・マスターズの取材に行ってしまった。(47ページ)。なんたること。「放射能汚染」に怯えている福島県民より玉ころがしの取材の方が大切だったのだ。
そして、全国紙の記者は現場から逃げ出し、新聞も配達されない。「生死がかかったクライシス」の中で、日本の新聞やテレビは悲しいほど役に立たなかったとのたまう(34ページ)。この人たちは3.11に現地で何が起きたかをご存知ないのだろうか。記者が逃げ出したというのはウソである。もちろん、津波から命からがら逃げた記者がいたことは事実だが、津波が収まると現地の記者たちは家族の安否を気にしつつすぐに取材に入っている。しかし、著者2人以外の国民みんなが知っているように、通信手段が途絶して本社と連絡が取れず、記事は送れない。本社は一線の記者の安否を確かめるために一昼夜も費やした。一方、現地を除く全国紙の記者たちはなんとか現場へ行こうと努力するが、鉄道も道路も寸断されてなかなか行きつけない。日本海回りで盛岡へ行き、そこから通れる道路を通り、途中から徒歩で被災地までやっとたどり着いた。
道路も列車も寸断されて新聞は輸送できず、現地の販売店も被災して配達体制なんて取れない。現地にやっとたどり着いた記者たちが持ち込んだ新聞を避難所に貼ると、被災者たちが食い入るように読んでいたというのが実情だった。以上のことは新聞を見れば書いてある。この2人はこうした実情もご存知ないのだろうか。いや、上杉氏は元NHK、烏賀陽氏は元朝日新聞の記者だったというから、こんなことは百も承知で既存メディアをやっつけるためだけにウソをついているとしか思えない。2人とも、組織内では生きていけなかったから飛び出したのだろう。それをとやかく言うつもりはない。だが、それを逆恨みして、あったであろう事実を曲げてまで、自分がメシを食っていた古巣の悪口を言うことは、ジャーナリストという前に人間として恥ずかしことではないのだろうか。
この本の言っていいることの問題点は次回に詳しく述べるとする。乞うご期待。