喪中はがき
強制するものなの
この時期になると、喪中はがきがくる。「喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます」というものだ。文章は多少違っていても、年賀状を出しませんというお断りなのだろう。私はこれが腑に落ちない。現代社会では実態的に喪に服している人はほとんどおらず「喪中」は形骸化しているに違いない。それも父母や子、配偶者、兄弟ならいざ知らず、義理の父母や兄弟となると、喪に服している人なんてまずいないのではなかろうか。普段はほとんど交流もない人も多いだろう。内心は「逝ってくれてよかった」なんて思っているのに、「喪中につき」とは、どんな心境ではがきを出すのだろう。
しかも、故人とは見ず知らのずの人が年賀状を出そうという矢先に「うちは喪中だから年賀状は受け取らないよ」と断るなんて傲慢としか言いようがない。正月を祝いたい人に「とんでもない」と断る権限があるのか。私は7年前に父を102歳で亡くした。父の知人なんて、もうほとんど生存していないから、葬儀も子と孫だけで済ませた。父の死を知らない約300人には年賀状を出した。親戚以外で私の父が生存していたことを知っている人はほとんどいないから、私が喪に服していることを喧伝する必要はないと考えたからだ。「あまのじゃく」と言われるかもしれないが、喪に服すことは自分がひっそりとやればいい。人に「喪に服しています」と宣伝するものではあるまい。まして人に強制するものではない。