杉田梅 | 歴史の裏

杉田梅

プロ意識の欠如

 

 横浜市磯子区に杉田という町がある。京浜急行に「杉田」、JR根岸線(京浜東北線の延長線)に「新杉田」という駅があるから首都圏での認知度は高いだろう。外孫が杉田の梅林小学校に通っている。1119日の土曜日に総合学習の一環として研究発表会があった。可愛い孫から知らせがあったので、聴きに行った。5年生の1つのクラスがいくつかのグループに分かれ、「杉田梅」について歴史、謂われ、梅の性質、現状や復活運動、子供や大人への認識アンケートなど多方面の研究発表があった。この研究を聞いて、梅林がないのに、なぜ「梅林小」と名付けられたかという疑問も解けた。これを取り上げさせた先生にも感心したが、子供たちの研究で次のようなことを知ることが出来、5年生のレベルの高さを再認識させられた。

 ――杉田には、かつて間宮林蔵を生んだ間宮一族も住んでいたが、杉田一族も住んでいた。一帯は岩盤が硬いので、米作に適さなかったことから、領主は梅を植えさせて収入源とした。そこから「杉田梅」の名称が生まれたらしい。杉田一族からは幕末の蘭方医・杉田玄白(日本で最初に腑分けを行い、オランダの解剖書ターヘルアナトミアを訳し「解体新書」として刊行した)も出ている。(孫は杉田玄白の研究発表をした)


 「磯子区の木」は梅なのだが、アンケートによると、それを知っている大人は3分の1くらい、3年から6年までの子供では区の木の存在さえ知らない子がほとんどだった(当然と言えば当然だが)。一時は3万6千本の梅林があったという伝統の杉田梅も、宅地開発で伐採され、今は杉田には1本もない。杉田梅は小田原にある。そこで、今、杉田梅を再生させようとしている飲み屋のオヤジさんグループもいる。杉田の商店街には梅を使ったお菓子を作っている和菓子屋さんもある――

 

 研究発表は多岐にわたっていて感銘した。私は帰りに杉田商店街に寄り、「菓子一」という店でその菓子「梅さやか」を求めた。梅の甘露煮を桃山で包んだ上品な味だった。店主の家族と思われる(小さな店だから従業員は雇っていないだろう)女性に、中の梅は何かと尋ねた。「普通の梅です」という。「品種は」と重ねて聞くと、答えられない。私は呆れた。「杉田梅」にあやかって作った菓子で食糧庁長官賞も受賞したことのあるその店の看板菓子だというのに、使っている材料を知らないのだ。

 何十年の前のことだが、料亭で出された料理について席にいた芸者に聞いた。芸者はその料理の材料から作り方まで詳しく解説してくれた。帳場に入ったとき、その日お座敷に出される料理について勉強しているのだろう。さすがプロだと感心した。最近では料理屋でもレストランでも料理について説明できない従業員が増えている。なかには女将でさえ説明できない。日本の企業経営者の倫理観の欠如が言われているが、規模の小さな店でもプロ意識がなくなっているのだろうか。

「世も末」か