泊原発3号機運転再開 | 歴史の裏

泊原発3号機運転再開

福島原発事故はひとごと?


 


調整運転中だった北海道電力泊原発3号機は817日、営業運転を再開した。3月の東京電力福島第1原発事故以降、定期検査から営業運転に移行した原発は全国で初めて。このニュースをテレビで見ていて驚いたことがある。それは再開に対する住民の反応だった。


 全員がテレビ画面のような反応ではなかっただろうが、テレビが取り上げていた人たちは「泊にとって原発は必要」「安全さえ確保されれば…」といったコメントをしていた。福島原発事故があって各地の定期検査中の原発再開が危ぶまれている中で、何とふっきれた反応なのか。この反応は一体何なんだ。私は「原発の運転再開に賛成する地元住民なんていない」という考えが浅はかだったと反省させられた。福島原発でふるさとを追われて漂流している人たち、子供たちもふるさとを捨てたり外で遊ばせられない。牛を処分されコメも野菜も栽培できない原発避難民。そうした人たちの状況が明日はわが身に降りかかるとは思わないのだろうか。


 政府が事故対策を万全にしさえすれば原発事故は防げるとでも思っているのだろうか。福島原発周辺の住民はそう思っていた人が多かったのだろう。事故が起きてから安全対策は万全ではなく。事故発生の想定がなく、その対応も粗末だったことが分かった。泊原発周辺住民は「想定外」のことは想定しないのだろうか。それは、各地に災害があっても対策を取らない人たちとダブって映る。日本中災害が発生しても、自分は別で災害に遭わないとでも思っているのだろうか。


 泊村に産業がなく、原発に頼らざるを得ない状況は理解できる。しかし、いったん事故が起きれば、住民そのものが村を出ていかなければならない。生活どころではないということに思いが至らないのだろうか。今の生活さえ維持できれば将来、原発難民として流浪し、ふるさとは放射能汚染で人が何十年も住めなくなってもいいのだろうか。私にはどうしても理解できない。