五時八教
最後に究極の教え
4大聖人の教えはなかった
世界の4大聖人の教えが残っているから、その人たちが自分で教えを残したと思われがちだが、4人とも、自ら記述した記録は残っていない。ソクラテスは弟子プラトン、孔子は弟子たちによる「論語」、釈迦も弟子たちによる経典、イエスは使徒たちが、師の死後に伝承を記録化した新約聖書だ。だから、現存する文書は4大聖人が自分で語ったものとは言えない。歴史の中で編集されてしまったという疑念は捨てきれない。
キリスト教の場合をみると、神聖ローマ帝国がキリスト教を国教にした際、使徒伝などを編集し直して新約聖書として確定させた。ローマ帝国の支配にとって都合の悪い記述は排除した。例えば、20世紀になってエジプトから発見されたトマス伝には「神が天にあると思ってはいけない。神は各々の心の中にある」という記述がある。神がこの世に使わされた使徒の代表が皇帝だと、皇帝を神格化したローマ帝国にとってトマス伝は都合が悪いから排除してしまったのだ。
経典はさまざまに伝承
仏教の場合は、釈迦滅後約500年にわたり釈迦の説教を何度か結集している。だから、その間に民間の説話が入りこみ、伝承が脚色されたことは推測できる。ジャータカ(釈迦の前世の善行説話)など、インド民間の説話が入りこんだ可能性がある。しかも、南伝、北伝と異なった国を経めぐるうちに、さらにそれらの国々の伝説や説話が入っていっただろう。北伝仏教でいえば、シルクロード、中国、朝鮮半島を経て日本へやってきたのだから、どれが釈迦の説いた経か、どれが中間の説話かを見極めることは難しい。インドで結集した経典はインド各地に残っていて、中国から経典を求めて入印した僧侶たちは各地にあった経典を持ち帰ってきた。一切経と言ってもいろいろあるのはそのためだ。
その上、ややっこしいことに、釈迦は50年間(と伝えられる)説法をするたびに、「今説いている経典が最高である」と説いていた。そうでないと、その時の聴衆は「なぜ、もっといい教えを説かないのだ」と納得しないからだろう。だから、各地から経典を持ち帰った僧は、自分の持ち帰った経典が最高だと思い込んでしまう。各宗の宗祖も同じで、自分が学んだ経典が最高と思う。だって、どの経典も「これが最高の教えだ」と説いてあるからだ。それに疑問を抱いたのが隋・唐時代の天台大師・智顗(538~597)。教説には先後浅深があるはずと、各僧侶が持ち帰った各種の仏典を参照、分析し、内容によって分類したのが五時八教である。
天台の教釈
五時は、釈迦が50年間説法した内容を、ほぼ年代順に分類した。華厳、阿含、方等、般若、法華・涅槃である。八教は教義の内容によって分けている。形式から分けたのが蔵・通・別・円、内容から分けたのが頓・漸・秘密・不定である。天台は、この中で最後の8年間に説法した法華経が最高の教えであると判定を下した。それには根拠がある。
1つは、法華経の開経である無量義経に「四十余年、未顕真実(これまで四十二年間、法を説いてきたが未だに真実を顕していない)」とある。すべての経に「この経が最高」とあるが、実はすべて方便の教えであって真実ではなった。これから説く経(法華経)こそが真実の教えである、ということを釈迦自ら告白している。
もう1つは、法華経法師品に「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、この法華経、最も為れ難信難解なり」とある。天台は、この文について「已に」とは法華経以前のすべての経、「今」とは、同一座席の無量義経、「当に」とは法華経の後に説く涅槃経のことであるとであると解説する。すなわち、すべての経の中で法華経が最高の教えであると釈迦が宣言しているというわけだ。前述のように、すべての経に「この経が最高」と説いているが、それは説法した時点でのことで、法華経のように「已今当」の3文字がある経はない。
では、なぜ法華経が最高なのか。ただ、経に「四十余年、未顕真実」「已今当説難信難解」の文字があるだけではない。最高である根拠がある。それは次回で。