日銀総裁 | 歴史の裏

日銀総裁

   日銀総裁なんていらない

 3月19日の福井俊彦総裁の任期切れ間近になっても、後任の日銀総裁が決まらない。武藤敏郎副総裁昇格に民主党が「ノー」だったから。だが、それは提案する前から分かっていたはずである。民主党の菅直人、鳩山由起夫、前原誠司氏らが財政と金融の分離を唱えて財務事務次官だった武藤氏の起用に反対していたからだ。さらし者にされた武藤さんは可哀相。でも、よく考えてみれば日銀総裁などいらないのではないか。

 アメリカのサブプライムローン問題から世界経済がシッチャカメッチャカになっているとき、日本の中央銀行総裁が不在となれば格好がつかないと思いがちだが、日本という国は責任者がいなくてもしっかりと運行してきた歴史を世界にアピールし理解してもらえばいい。

 神武天皇(いたかどうかしらないが)以来、2668年間も万世一系の天皇様が支配する日本で、天皇自ら政治を行ったことは建武の中興を除いてほとんどない。摂関、院政と続き、武家社会では将軍様が実験を握ったことになっているが、その将軍も自分で政治をやったのは源頼朝、足利尊氏、徳川家康・吉宗ぐらいで、真の実力者は執権や老中。さらに本当の実権はその下の中間管理職が握っていた。

 明治以降もそうで、大日本帝国憲法では「万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と大宣言していながら、天皇様は現人神と崇められていただけで、実権は全くなかった。日本国民が未曾有の犠牲となった大東亜戦争(太平洋戦争)の開戦について、昭和天皇は「聞かれなかったからノーと言えなかった」とうそぶく。そして戦後は「私は神ではなかった」と宣もうただけで、全く責任はとらなかった。こんな統治者が平然と生きていられるのが日本国である。

 戦後の歴代首相はいなくても日本国は動いていく。なぜなら、官僚が優秀だから。安倍晋三さんも、福田康夫さんも、国会での演説は官僚が書いたものを下を向いて読むだけ。バカのブッシュでさえ、演説の時は上を向いて国民に話しかけるのに、日本の総理大臣様は下を向いて官僚の作文(製作者は課長補佐)を読んでもテンとして恥じない。安倍さんに至っては事態が打開できなくなると、「ボクやめた」と放り出してしまった。福田さんも宙に浮く年金記録、ガソリン税の暫定税率、日銀総裁とどれ1つ、打開しようとしない。

 政府の最高意思決定機関である閣議では大臣様は全く意見を出さず、担当大臣が読む案件(官僚の作文)を聞き、サインするだけ。その閣議に出す案件を審議するために前日開かれる事務方のトップ会議である事務次官会議はもっとひどく、昼飯を食ってお開き。冗談も言わない。「会議で発言するなんてとんでもない」と言う。なぜなら、部下の職員がさんざん煮詰めて会議に出したことに意見など言ったら大変なことになるからだ。

日本の政治は課長補佐の政治だと言われる。課長補佐の言いなりにならないと、課長も局長も次官もままならない。だから、課長補佐がゴルフ接待をセットしました、ノーパンしゃぶしゃをセットしましたと言えば、その通りするしかない。だから、福井総裁もノーパンしゃぶしゃぶに行き、村上ファンドに出資して大儲けした。だが、自分の意思でやったわけではないから、責任は取らない。だって、「万世一系の天皇陛下」でさえ、国民を何百万人殺しても責任をとらない国だから、たかが日銀総裁が責任を取るなんておこがましい。

こうした日本特有の事情を世界各国に理解してもらえば、日銀総裁なんか不在でも日本は万全なことを分かってもらえるだろう。