山菜良歌 | 歴史の裏

山菜良歌

   シドケ

◇春が爆発

 山が萌える――白一色に覆われていた山々の雪が解け、寒々とした裸の木々が現れると、そこにはもう若芽が衣替えの準備を始めている。灰色の斜面に薄緑、薄茶、淡いピンクが彩り始めると、瞬く間に緑や茶が濃くなり、黄色、赤などの花が咲き出す。梅、桃、桜、レンギョウ、菜の花、タンポポがほぼ同時に開花する。北東北、北海道の春は突然、一斉にやってくる感じだ。氷点下の冬に閉じこめられていただけに、北の人々にとって春は特別な感懐があるのだろう。

 「花見したー~」という問いかけには単に花を愛でるのとは違ったニュアンスがある。長い冬から解放されて、さぁーやるゾ! といった意気込みを花見にかけているようだ。

◇山と暮らす

木々の下では、草たちも春の準備を始める。春は山菜の季節でもある。春と土の香りがするような山菜はいかにも春を感じられる食べ物といった風情がある。3月11日に宮城県大崎市岩出山で(がま)と間違えてドクゼリを食べた女性2人が中毒になった。こういう事故もあるが、北の人たちは、春になると自分で山に出掛けて採った山菜を楽しむ人も多く、山菜採りは生活の一部になっている。

最近は栽培された山菜も出回っており、大都会でも一部の山菜は楽しめるが、都会で手に入るものは限られている。フキノトウやワラビ、ゼンマイ、タケノコ、タラの芽ぐらい。近頃はツクシやウルイなども手に入るが、北の人たちはシドケ(モミジガサ)、ミズ(ウワバミソウ)、ションデコ(シオデ)なども採って食べる。しかも味は栽培物とは雲泥の差である。中でもシドケは東北地方のわらべうたで

春になればしがこも解けて.

どじょっこだの ふなっこだの.

夜が明けたと思うベナ.

と歌われている「シガ(氷)解け」が名前の由来。沢の雪解けに合わせて芽吹き、深山の精を集めたような独特の香りと風味が、人を魅了する。

 岩手県釜石の知人宅でどんぶり一杯のシドケのおしたしを出してくれた。初めは、そんなに食べられないと小鉢に取り分けてもらったが、あまりのおいしさに全部平らげてしまった。セリよりアクが強いので、好き嫌いはあるだろうが、正に春を食べる気分だ。

 山菜の王様といわれるシオデの語源は、アイヌ語のシュウトンテから来ているといわれ、「鞍(シホデ)」の文字を充てたらしい。意味は、物に絡むことで、鞍の前輪、後輪につけるひもに由来するという。味も形もアスパラに似ていて「ヤマアスパラ」とも呼ばれる。見つけるのは難しく、かなりのベテランでもなかなか見つけられない。

◇人も自然の一部

 これらの山菜は関東などでも見られるが、東北、北海道以外の土地で食するという話はあまり聞かない。寒冷地の東北は、かつて米が取れず、他の食物も取れが悪かったから、野草で飢えを凌ぐことが生活の知恵だったと考えられる。それが飽食の現代では都会人垂涎の食生活になった。

 現代の食生活には季節感がない。子供たちはトマトやキュウリの取れる季節を聞いても答えられないだろう。スイカも冬でも食べられる。人間も自然の一部なのだから、自然のリズムから外れたハウス栽培の食品ばかり食べていては、真の健康は保てない。成人病が増えるのは当然だ。本来の健康な体を取り戻すには医食同源、薬食同源で、自然治癒力を増さなければならない。自然との共生の中にこそ、本当の人間生活がある。

 日本で昔からの自然が残っている北東北、特に、西に奥羽山系、東に北上山系と自然豊かな岩手の人たちは旧石器時代から自然の恵みの中で生活してきた。稲作が定着するまでは、山野に獣を追い、野草や木の実を採り、魚介類をとって生活していた。

 今では、生活のために山菜を採るわけではないが、山に入ればフィトンチッドの働きで、身心ともに快適になるし、山菜は健康食品で「食べる森林浴」とも言える。北の人たちは、大都会では望んでもできない、恵まれた生活をしていることになる。