炭
木炭の火
赤くおこった火鉢の炭火を見ていると、心が温まる気がする。だが、そんな生活は現代では贅沢というものだろう。炭は心を温めるだけではない。熱の波長が長いから、その場所だけでなく、部屋全体を暖める。肉や魚を焼いても、柔らかな温度がシンまで通り、焦げずにおいしく焼ける。
かつては家庭燃料の主役だった木炭も石炭に次いで石油、電気、ガスに取って代わられ、昔の面影はない。1953(昭和28)年には全国で200万トンを生産していたのに、現在はその2%にも満たない3万5千トン以下。一方、輸入木炭は4万3千800トンある。それでも、最近は生活の多様化から、暖房用、レジャー用、業務用、茶の湯用と、木炭ブームは密かに続いている。
あまり知られていないが、全国一の木炭生産量を誇っているのは岩手県。全国シェアの25%を占め、岩手木炭として全国37 都道府県に出荷されている。岩手県の木炭は明治後期に生産促進が図られた。1921(大正10)年からは木炭の品質改善と規格の統一を目ざし、全国に先駆けて県営木炭検査が実施されるなど奨励策が進められた。その結果、生産量は次第に伸び、1953年には生産量は全国の10%に当たる20 万トンとなった。クヌギ、ナラなどの広葉樹がたくさん残っているからだろう。寒冷地でマツクイムシ被害が少ないことから、刀鍛冶が使う松炭も全国から注文がある。
炭焼きの窯に入ったものはムダになる物はないという。炭の他に、煙を冷やした木酢液は無公害の消臭剤となり、灰はカリ肥料としてタバコ、トマト、ニンジンなどの色づき用に使われる。クズ炭は地力増進用の土壌改良剤となる。水質浄化用や床下調湿用などの利用も増えてきた。
炭火で焼くおいしさが見直され、料理屋だけでなく、ハイキングやキャンプでのバーベキューの他、最近では庭で焼き肉をする家庭も増えている。東京、大阪など大都市では、切り炉を付けている「文化的な」家庭もあり、火鉢も復活している。そうした家庭の主婦たちは「火鉢があるとやめられない。炭だと部屋の中がほんのりと暖かく、暖房は炭の方がいい」と言っている。機能的な生活だけが「文化的」とは言えないことを都会人たちが気づき始めたのだ。一度は捨てられた昔の文化が、装い新たに脚光を浴びている。
人間は火を使う唯一の生物である。火を手なづけたことが人間であらしめた特徴の1つとも言える。薪や炭が最も原始的な火だとすれば、最も文明的な火は、原子の火といえよう。この火をどう使いこなすか、これからの人類は問われている。
火には2つの働きがある。「焼く」ことと「照らす」「暖める」こと。焼けば物が生じず、照らせば闇が生じない。共通するのは「不生」。「焼く」ことだけでは、価値は生じない。燃焼作用をどう利用するかで、価値は正にも負にもなる。原子の火も、戦争に利用するか、平和に利用するかで、人類の未来は大きく変わる。
人生も同じだろう。悩みや苦しみ、障害に負けていれば、負の人生を歩むことになる。それらに負けず、それをバネに力強く生きれば、喜びや楽しみとなり、明るい人生を歩むことができる。木炭の火のように、ほんのりと幸せな人生を歩めたらいい。