命の作用 | 歴史の裏

命の作用

   百界千如

 此の世の出来事、森羅万象の存在の仕方を仏教では「十如是」として説き、十如是こそ、森羅万象のありのままの姿(実相)であるとする。十如是は法華経方便品に説かれており、如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究竟(くきょう)等の10

 如是相 表面に表れた姿、形、振る舞い。人の場合、顔や体型。

 如是性 性質、性分。「○○さん」という時、あああの人かという1人1人違う特性。生涯を通じて変わらない。

 如是体 本体、根本の身体。「○○さん」という時、思い浮かべる外面と性質が一体となった実体。

 如是力 内在している力、潜在的能力。物事を成し遂げる力。

 如是作 力が外に現れた作用。

 如是因 果を招く直接の原因のこと。行動を起こす心の作用、思い。

 如是縁 因を助ける補助的原因、果を招く外界の助縁。地域的・社会的・人的などあらゆる環境。

 如是果 因による結果、因が外界の助縁と和合して生じた結果。

 如是報 果が形として現れたもの。例えば、病気になったことは如是果であり、病気の症状に悩まされることが如是報である。

 如是本末究竟等 始めの相を本とし終わりの報を末として、本末は究竟的に等しいこと。

 相・性・体の三如是は事象の本体を表し、力・作・因・縁・果・報の六如是は機能面を表している。相から報までの九如是は一貫した統合性、相即不離の関係である。そして、すべてのものはこの10種の仕方で存在し生起しながら、本体と機能とが互いに一体性を保っているのが十如是の意味するところで、10種の存在・作用が自体・本体として1つ1つの事物に内在していることではない。

前回解説した「十界」はそれぞれ他の十界を具えているから百界になる。その百界はそれぞれ十如是を具えているから、千如になり「百界千如」となる。これに三世間を具えると、仏教の極理「一念三千」となる。

三世間と「一念三千」については、次回。