自衛とは? | 歴史の裏

自衛とは?

   イージス艦衝突


 2月19日早朝、千葉・野島崎沖でイージス艦が漁船と衝突、漁船が真っ二つに切断され、乗組員親子が行方不明になった。事故原因は究明中だが、この海域は八丈沖を通る黒潮の漁場があり、漁船が輻輳していることは日本の航海者なら熟知しているはず。この海域で自動操舵のまま漫然と見張りをしていたから、多くの漁船が通航していたことを確認できなかったのだろう。問題は国民の財産を守るべき自衛隊が国民に牙を剥き、殺したということだ。「自衛」とは誰の自衛なのか。この事実から見ると、自分たち(自衛隊)を自衛するための組織であって国民を自衛するのではないということだ。

古今東西、軍隊によって本来守らるべき国民が守られたことは一度たりともない。聖戦であろうが「自衛」ためであろうが、犠牲になったのは常に国民だ。近くで言えば、太平洋戦争で日本帝国は世界に冠たる陸海軍を持っていたが、広島、長崎に原爆を落とされたのをはじめ空襲によって日本の主要都市は壊滅的打撃を受け多く尊い命が失われたが、軍隊は国民を守ってくれなかった。国民は「鬼畜米英」によってなすがままだった。しかも、戦争末期には、守らるべき若き命を武器とする特攻隊や回天など愚劣きわまる作戦まで遂行した。

さらに、沖縄では住民に集団自決を促したり、住民は手足まといになるからと、食糧のない北部へ追いやられた。すべて軍部が自分らの権力やメンツを保つために国民を犠牲にしたのだ。

戦争を起こす人たちは「聖戦」であるとか、民族の誇りとか口実を設けるが、そんなことは被支配階級には関係のないことである。史上最も残虐とされる蒙古軍だって、抵抗しない民族は攻撃せず、支配後は民族の自治に任せていた。抵抗したのは国の支配者階級が蒙古に支配されたくなかっただけだ。庶民は支配が蒙古であろうが、宋であろうが、金であろうが、ホムルズであろうが、関係ない。支配階級がどう変わろうと、庶民は常に搾取され、虐げられているだけではないか。むしろ蒙古に支配されていた時の方が庶民は自由だったという。

日本も、現在は国内にアメリカの基地を置かれ、少女がアメリカ兵に暴行を受けるなどアメリカの属国になっているが、虚心に見ると、庶民にとっては大日本帝国の支配時代より、ずっと暮らしやすいことは事実だ。いまや民主化を推し進めてくれたアメリカ様々だ。誰1人アメリカの属国をいやがってはいない。現支配階級でさえ、政権が交代すると、アメリカ詣でをし、アメリカの言いなりになってイラク戦争に協力したり、郵政民営化を進めている。小学生から宗主国の国語を習わせようとしているほどだ。

軍備促進派は軍隊がなければ、他国に侵略されると主張するが、侵略されて損するのは支配階級だけで、庶民にとっては自分らの命を奪う戦争は絶対にいやだ。日本に軍隊がなければ、日本を攻撃する国もないし、日本に米軍基地がなければ、北朝鮮だって日本を警戒する理由がない。戦後62年経つが、自衛隊が国民の命を守ってくれたことは一度もない。軍備促進派は「軍隊がなければ他国に侵略される」という迷信から脱却し、事実に基づいた議論をしてほしい。