盛岡讃歌Ⅶ | 歴史の裏

盛岡讃歌Ⅶ

開運橋の花園

 盛岡駅から繁華街の大通、菜園方向へ歩く。北上川に架かる開運橋は古里の山・岩手山を望む絶好のポイントである。左手の上流対岸に色とりどりの花が咲いている。橋から見える岩手山との取り合わせは見事で、通行人や観光客の目を楽しませてくれる。全国花いっぱいコンクールや手づくり郷土賞など多く受賞している。だれが手入れをしているのか感心する人も多い。面積は約1500平方㍍。現在はボランティアの「開運橋花壇クラブ」が維持管理しているが、この花園実現までには1人の女性の人知れぬ苦労があった。

 堤防の斜面は1級河川では珍しい石積み。ところが、貴重な石垣は雑草で覆い隠され、石垣下の河川敷も雑草が生い茂って、人も通れなかった。近くでおもちゃ屋を営む小島キヨさんは、開運橋を通る人にとって岸辺を楽しいものにしたいと思った。石垣の草を刈り、河川敷を開墾した。

 河川敷は建設省(現国土交通省)の管理なので、勝手に開墾すると、叱られると思い、作業は人通りがなくなる夜11時過ぎと朝4時半前にやった。しかも開墾した後には、刈り取った草を置き、分からないようにした。こうして3年がかりで美しい石垣が現れ、旭橋までの約220㍍の河川敷が開墾された。それを見た霞サトさん、北田アサさんら近所の人たちが花壇づくりを手伝ってくれた。小島さんらは、毎日、夜8時過ぎには、花たちに水をやる。種や苗を植え、崩れかけた斜面の花壇を手入れして、整備に努めてきた。

岩手県では、1970(昭和45)年の岩手国体を契機に県内各地で花いっぱい運動が始まり、開運橋の花壇も盛岡市3丁目の老人クラブ「大通さくらぎ会」の有志が手がけるようになった。高齢化とともに活動するメンバーが減ったことから、2000(平成12)年11月に花壇づくりを断念。その精神を受け継ごうと、盛岡市がボランティアを募集、「開運橋花壇クラブ」が出来、今に至っている。

花壇にはリュウキュウツツジ、キリシマツツジなどのツツジ類、ユキヤナギ、レンギョウ、アジサイ、バラなどの低木が植えられている。また、アイリス、シュウメイギク、シャクナゲなどの宿根草、チューリップ、スイセンの球根、マリーゴールド、サルビア、ベコニア、マーガレット、ヒマワリなど季節ごとに色とりどりの花が咲き、春から夏にかけては赤、白、ピンクの芝桜が石垣を彩り鮮やかに飾っている。

岩手県内を歩くと、各地に開運橋際のような美しい花壇が見られる。同じような努力が行われているに違いない。ふるさとを美しく潤いのある街にしようとの情熱が花いっぱいのふるさとをつくっている。花の命は短くとも、花を育てる人の心に咲く花の命は短くはないのである。