あるある
「あるある」問題の盲点
◇放映局の責任
関西テレビ制作の「発掘!あるある大事典Ⅱ」のねつ造問題で外部有識者による調査委員会が3月23日、報告書をまとめた。それによると、関テレの社内調査で指摘された4件以外に12件、計16件でねつ造やデータ改ざんがあったと認定した。しかし、全520回のうち、資料が散逸していたりヒアリングを拒否する者がいたりして、調査には限界があったという。ということは、もっと多かったと推測される。
原因については、下請け制作会社の日本テレワークに制作を丸投げし、関テレ側に当事者意識が欠けていたことだったと結論づけている。しかし、この問題についての新聞やテレビの報道では、最も重要なことが見過ごされている。それは、なにか。
フジテレビをはじめ番組を放映したネットワークのテレビ局の責任である。報道では関テレの責任ばかりが追及されているが、視聴者側にしてみれば、どの局が制作しようが関係ない。見たテレビ局によってだまされ、やせると思って納豆を買いに走った。その結果、納豆が品切れになり、製造会社は増産体制に切り替えた。ねつ造の暴露によって大量の廃棄をさせられた。この責任は関テレだけでなく、放映した各テレビ局にある。マスコミ報道では、この視点が抜け落ちている。
だいたい、テレビというのは報道機関であろうか。ニュースをバラエティー番組に仕立てて面白く加工してしまっているのだから、報道とはとても言えない。「あるある」の調査委は制作担当者へのヒアリング調査で「われわれは科学番組を作っているのではない。報道でもない。情報バラエティー番組を作っている」との言葉を幾度となく、聞いたという。
◇視聴者・読者への責任
無責任な制作姿勢は、他の報道でも見られる。テレビ朝日の「やじうま新聞」は各新聞の報道をそのまま、放映している。出所は明示しているものの、自分たちは取材していない。新聞に載ったものをそのまま伝えている。スポーツ紙などはうわさ話も載せているから、事実かどうか不明である。テレビ局は事実について責任はとれない。実に無責任な報道である。
以前に、共同通信の誤報を載せた地方紙が裁判で責任を問われたことがあった。全国に通信網を持たない地方紙は共同通信の記事を「共同」というクレジットなしで掲載している。内情を知らない読者は、その新聞が取材したものと思っているだろう。だから、読者にとっては共同通信が誤報したのではなく、読んでいる新聞が誤報したことになる。
地方紙ばかりではない。全国紙も事情は同じだ。全国紙は国内に通信網を持っているから、共同通信の記事はスポーツの記録ぐらいしか使わないが、時事通信の記事は使っている。また、国際ニュースは特派員電を除き、通信社に頼っているのが実態だ。クレジットを入れたとしても、読者は自分が読んでいる新聞の記事だということを疑わないだろう。本来、通信社の記事を使う際には「この記事は本社が取材したものではありません。事実については確認がとれていません」という断りを入れるべきだ。そうでなければ、放映したテレビ局や、掲載した新聞社の責任は免れないはずである。