神と仏
神と仏
「神様、仏様」「神も仏もないのか」。日本人はよくこんな言葉を発する。この場合、「神」と「仏」はほぼ同義語として使われてきた。しかし、よく考えてみると、「神」と「仏」は全く異質のものである。
人はキリスト教的「唯一絶対神」には絶対なれないが、「仏」には誰でもなれる。一般に「神」と言われているものには、実は2通りの意味がある。キリスト教やイスラム教でいう「天地創造・唯一絶対」の神と、ギリシャ神話や日本の「八百万の神」のような森羅万象すべてが崇められる神。仏教以前のバラモン教や原始的シャーマニズム、未開の原住民が信じている神も同類項と言える。
これに対し「仏」とは、人間の一側面を言ったに過ぎない。仏教では、「生仏(衆生と仏)一如」と言い、「仏」と「衆生」を差別しない。悟っている時を「仏」、迷っている時を「衆生」と名付けている。「仏」とは「衆生」の中の最高の状態を言う。よく「死んだら仏になる」と言われるが、ウソである。ほとんどの人は地獄に堕ちる。しかし、「仏」が最高の状態であることを知っていた昔の人たちは、死んだ人に対し「まるで仏のようだ」とお世辞を言った。それが時代を経て、「死んだら仏になる」と言われるようになったのが真実である。
それでは、仏教では「神」をどう位置づけているのだろう。仏教で「神」と言えば、「諸天善神」のことである。「諸天善神」とは、正しい仏法を信じた人を守る働きのことで、商法を信じる者が苦難に遭遇したとき、それを助ける人や自然現象を「諸天善神」と呼ぶ。例えば、金に困ったとき、融通してくれる人や、病気になったとき助けてくれる医者が「諸天善神」に当たる。
「仏」と「神」は全く異質であり、同義語として使うのは間違いである。この世には人によって決まっている「運命」というものはなく、生命の傾向としての「宿命」がある。諸天善神の守りを得れば「宿命転換」できる。