オリンピックムーブメント
オリンピックムーブメント
トリノでの日本の目標はメダル5個だそうだ。ところが、いつのオリンピックでもそうだが、期待される人ほどメダルに手が届かないことが多い。今回もスピードスケートやハーフパイプではメダルに手が届かなかった。日本のマスコミはメダル、メダルと騒ぎすぎではないのか。選手たちはそのプレッシャーに押しつぶされてしまう。プレッシャーをはねのけていい成績を収める選手もいるが、よほど精神が強くないとダメだ。たかが、というと怒られるかしれないが、たかがスポーツではないか。楽しくやればいい。相撲取りがよく言う「自分の相撲を取りきる」ことが大事だ。それが結果に結びつく。
だいたい、オリンピック本来の目的は、スポーツを通じて友好と交流を深め、世界の平和を築くオリンピックムーブメントにある。よく言われるように「参加すること」に意味があるのであって、勝ち負けは2の次のはずだ。勝とう勝とうというのは、本来の目的から外れている。
「スポーツをやると精神が鍛えられる」ということにはかねてから疑問を持っていた。電車の中でスポーツバックで座席を占領しているスポーツ青少年を見たことがある。近くには座れない子供を抱いた主婦や老人がいるのに、コーチらしい人は注意もしない。自分が勝てばいいという闘争の姿を見る思いがした。スポーツのルーツはほとんどが武術で「勝つ」ことが目的である。それではフェアに出来ないので、ルールを持ち込んだ。しかし、どのスポーツでもそうだが、プレーヤーは違反すれすれでゲームをする。話は古くなるが、江川卓投手がドラフトの網目をかいくぐって巨人入りを果たしたのも「勝てばいい」という戦い本来の姿を現したのではないか。
また、団体競技ではチームプレーが強調されるが、実際は仲間内で激しい競争が行われる。ライバルが故障すれば、自分がレギュラーになれるので、仲間の故障を願う。レギュラーの座を確保するため、仲間に内緒で練習するなど結構陰湿だ。
時代劇などで剣の達人でありながら、悪人がいる。武術やスポーツによっては「精神は鍛え」られないのではないか。オリンピック精神の原点は「スポーツマンシップ」であり、「スポーツマンシップ」の原点は「セルフコントロール」なのだ。要するにスポーツを通じて「セルフコントロール」を養うことがオリンピックの目的である。それが出来ない人はいくらスポーツをやっても「精神は鍛え」られない。「メダル」「メダル」と騒いでいるマスコミや国民にもう一度、この原点を考えてもらいたい。