同時に思えるようなものでも、


やはり、場所が離れると、何かを伝えるには、時間がかかるのは、物理的な世界では必ず起こる事です。


でも、離れていても、時間はかからないって、思っちゃうことっていっぱいあります。


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“お昼休みはウキウキウォッチング♪”


お昼になると、黒いサングラス🕶をかけて、マイクを持ったおじさんが、楽しそうにしているテレビ番組がありましたね。


夏休みなど、お昼の時間に家にいると見ることが出来る番組でしたので、とても楽しみにしていたのを思い出します。



お昼 の 同じ時間に、同じ番組を見ている人が、日本中にたくさんいるって事も、場所は離れているのに、テレビ画面を同じように見ていて、同じ映像と音声を、同じ時間、同じタイミングで共有するという、なんだか不思議な感覚がするなーって思っていました。



地球の遠く離れた場所では、朝と夜が違う


こっちが朝のときに、夜の場所もある


時差という事を、なんとなく知った時にも、不思議な感覚と、《自分以外》の範囲って、自分が思っている以上に大きいのだなというようにも思いました。



姉が、大学と就職の為に、離れた地へ行った時にも、


なんだか、確かめたくなり、


『お昼休みはウキウキウォッチング♪』が本当に、同じ時間に始まっているかを確かめた事がありました。



僕の中では、北の北海道から南の沖縄まで、微妙にタイムラグが発生しているんじゃないかとも薄々思っていました。



『メダカの学校』の輪唱のように、


『お昼休みは〜🕶』


  『お昼休みは〜🕶』


     『お昼休みは〜🕶』

     

        『お昼休みは〜🕶』


と、なっているんじゃないかと。



実際は、同時でした。


同時なんですねー。



ただ、電話で確かめただけですし、自分で確かめた訳ではないので、真偽は定かではないですが、


同時でした。



東京の真ん中らへんで、実際にサングラスの方が歌っている。


その映像と音声を、離れた場所で、同時に見たり聞いたりできる。


電波とは凄いものです。



ただ、その共有している映像を見ている人同士は、同じモノを共有出来ていても、


実際に、そのサングラス🕶の人と、その映像を見ている人で、会話をしようとすると、


やはり、タイムラグが生まれるようです。



リアルと仮想の間には、その変換の時間はどうしても生まれる。



実際の『🕶』が体験している時間



それを写した『🕶』映像を見ている人が見る『🕶』の時間


とには、少なからず時間差は生じます。



同時に思えるようなものでも、


やはり、場所が離れると、何かを伝えるには、時間がかかるのは、物理的な世界では必ず起こる事です。



相手と向き合って、相手の反応を確かめて


その時間差があることを、まず認識する。


在って然るべきものとして、認識して初めて、コミュニケーションが円滑にいくのかもしれません。


反応の速度は、個々に違います。


その相手との関係性の深さ、浅さでも変わってくるくるものです。



手を動かす、足を動かす、


普段通り動かせている時には、意識しないと思いますが、

手や足から遠く離れた、頭(脳)からの信号の伝達、電波によって、動いています。



離れた場所に何かを伝える時には、少なからず時間差は生じます。



コミュニケーションが円滑に進まないと感じたときには、


相手としっかりと向き合えていない時かもしれません。



世界同時通話


もうこんな事も可能です。


電波の凄さです。




ラジオ体操で、手と足を同時に動かす


これを、凄い事だと捉えるか、


出来て当たり前と捉えるか




インターネットが通じなくなったときに、


繋がらずにイライラするか、


無い事が当たり前だと、一旦落ち着くか。


自分にも今更出来ないかもしれませんが。



そんな事を、ふと思います。