貧しくても移民はやっぱり考えませんでしたね?・(^_-)-☆ | 寒がりたー坊のブログ

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こんばんは‥(^_-)-☆

今の奈良は、9℃と寒く、朝晩になると気温が下がってきました?・・

今日の天気予報では11℃と上がりそうですが寒い日になりましたね。

このごろはエアコン入れても、15℃を切って寒いので、つい二階の寝室に?・(^_-)-☆

二階だとエアコンを入れると部屋も小さい性か20℃近くになり寒さも感じません??・

今日はハワイ移民出発の日なんですね?・・(^_-)-☆

1885年、日本とハワイ王国との間で締結された日布移民条約。

この条約により、日本からハワイへの移民が公式に許可され、「官約移民」として新たな生活を始める日本人が急増しました。

この日は、日本からハワイへの大規模な移民の幕開けを告げる重要な節目となります。

日本から初めてハワイへ向かった移民は、横浜港から東京市号に乗り込み、夢と希望を胸に新天地を目指したのです。

しかし、彼らを待っていたのは、想像以上の過酷な労働環境でした。

移民たちは「3年間で400万円稼げる」という謳い文句に惹かれていたものの、実際には過酷な労働条件により、多くの苦労を強いられました。

それでも彼らは耐え抜き、ハワイ社会の基盤を築いていったのです。

ハワイにおける移民は、急増するサトウキビ畑や製糖工場で働く労働者を確保するため、1830年頃より始められた。

ポルトガル人、ノルウェー人などがハワイに導入されたが、地理的に近くてコストも安かったためアジアからの移民が好まれ、日本人、中国人、フィリピン人(米国に併合されてから)が急増した。

労働は過酷で、「ルナ」と呼ばれる現場監督の鞭で殴るなどの酷使や虐待が行われ、1日10時間の労働で、休みは週1日、給与は月額10ドルから諸経費を差し引かれた金額であったという。

一方、日本や中国からの移民から儒教、道教、仏教、神道などが持ち込まれ、特に仏教が栄えた。

これらの宗教は年中行事や冠婚葬祭だけでなく日本語学校、寺子屋、合唱隊、ボーイスカウト、講演会、バザーなど様々な催しの場を提供し、日系社会のコミュニケーションの基礎固めという役割を果たすようになった。

もう移民という事は行われてないと思いますが、目が届かない場所に行けばもう奴隷のように働かされたんでしょうね?・・

今のロシアでも、若い子供をウクライナから受け入れていますが、養子という形をとりながら移民のようになる気がしますね?・・

そうでなくても日本より寒い国での寒く厳しい気候化での戦争を悲しく思います?・・

悲惨な状況を3年近く見ると私がロシアにいれば義勇軍で働くかもしれませんね?・・

だけど私は小さい頃に貧乏でしたが移民だけは考えませんでしたね。

南国で暮らすならどこに行きたい?

東南アジアが良いので、治安が一番ましなタイが良いかも?・・

だけど、今はロシア人が多いので怖いかも?・・

タイが良いと聞くので、一ヶ月ほど過ごしたいですね?・・

今朝の血圧は、162-86、脈拍は88、血糖値は138でした。

体温は36.7℃と少し高めですね?・・

昨日の散歩数は、2764歩でした・・(^_-)-☆

ここ数日寒くて足も動きません?

そのために足が弱ってきたかも?

今日も良い日でありますように・・(^_-)-☆