江戸時代中期から幕末まで郡山藩十五万石余を領した柳沢氏の初代藩主?・・(^_-)-☆ | 寒がりたー坊のブログ

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こんばんは‥(^_-)-☆

 

 

今の奈良市は気温は5℃と大分気温が下がってきましたね。

 

奈良は、最高気温10℃止まりで昨日より少し寒い日になりましたね?・・

 

引き続く寒さの性か血圧が上がり下痢がまだ続き体調不良が続いています。

 

しんどいが、少しづつ散歩を増やそうと思いますが増えませんね?・・

 

クイズで頭の体操でリフレッシュしましょう!

 

【穴埋め熟語クイズ Vol.2583】□に漢字を入れて4つの熟語を完成させてください

 

奈良まほろばソムリエ奈良通2級の10回目の問題です。

 

1 奈良県の歴史に関する事柄について最も適当なものを選びなさい。

 

(16) 次にあげた宇陀松山城に関する記述のうち、誤っているのはどれか。

   

ア. 織田信長の次男である信雄が藩主だったことがある。   

イ. 城跡に近い松山西口関門は国の史跡に指定されている。   

ウ. 豊臣秀吉の弟である秀長が藩主だったことがある。   

エ. 宇陀松山城は秋山城ともいい、山城である。

 

 (17) 江戸時代中期から幕末まで郡山藩十五万石余を領した柳沢氏の初代藩主は誰か。 

 

ア.柳沢里恭   イ.柳沢信鴻   ウ.柳沢保申   エ.柳沢吉里 

 

(18) 慶長18年(1613)に置かれた奈良奉行所の敷地は現在のどの施設に当たるか。

 

ア.奈良地方裁判所  イ.近鉄奈良駅  ウ.奈良女子大学  エ.奈良国立博物館

 

(16)この人 は 戦国時代 から 安土桃山時代 にかけての 武将 、 大名。 豊臣秀吉 の異父弟(同父弟説もある)。

 

 豊臣政権 において内外の政務および軍事面で活躍を見せ、天下統一に貢献した。

 

 最終的には 大和 ・ 紀伊 ・ 和泉 の3ヶ国に 河内国 の一部を加え、約110余万石の大名となるに至る。

 

ヒントは秀吉の弟ですね。

 

豊臣秀吉の弟である秀長 に対する画像結果

 

(17)この人は江戸時代中期の大名で、甲斐甲府藩の第2代藩主、後に大和郡山藩の初代藩主となる。

 

大和郡山に移封の際、多くの金魚職人も同時に連れて行った。

 

これが、大和郡山で金魚が産業として発展する要因となった。

 

ヒントは故郷は遠きにありて思うもの?・・

 

柳沢吉里 に対する画像結果

 

(18)江戸時代、奈良の町は幕府の直轄地でした。

 

その幕府による町政の中心だったのが、奈良奉行所です。

 

現在の○○〇大学の場所にあった奈良奉行所は、敷地の広さが東西93間(約165メートル)、南北93.5間、面積が8,700坪もありました。

 

大坂町奉行所2,960坪、京都町奉行所5,327坪などと比べると、奈良奉行所は際立って大きな奉行所だったようです。

 

ヒントはもう大学で分かりますよね。

 

奈良女子大辺り 〜奈良きたまちの観光・歴史探訪〜

 

今日も良い日でありますように・・(^_-)-☆

 

(16) ウ  (17) エ  (18) ウ

 

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