小学生時代より、今を大切に?・・(^_-)-☆ | 寒がりたー坊のブログ

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(+_+) 楽隠居の喜怒哀楽 \(^o^)/・・
・・歩き遍路を通して人生を考える・・

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おはようございます・・(^_-)-☆

今日の奈良は良いお天気のようですが、15℃と少し寒いかも?・・(^_-)-☆

マリア猫は、今朝も、仏間でよく眠り朝に呼ぶと枕元に来ますが?・・

なぜか手の届くところにとはきませんね?・・

だけど私が起きるとエサ皿の前に座って餌を待ちますね。

今朝は、餌のあと布団の上に寝ていましたが?・・

いつの間にか外に?・・

今日は小学校開設記念日なんですね・・(^_-)-☆

1869年(明治2年)のこの日、京都市に日本最初の近代小学校「上京第二十七番組小学校」と「下京第十四番組小学校」が開校した。

「上京第二十七番組小学校」は後の「柳池りゅうち小学校」、「下京第十四番組小学校」は後の「修徳しゅうとく小学校」である。

当時の京都には、上京・下京のそれぞれに番組(学区)という行政区画が置かれ、番組ごとに小学校が建てられたため、「番組小学校」と呼ばれた。

「上京第二十七番組小学校」の創設者であり、私財を投じて校舎や敷地を寄付した商人・熊谷直孝くまがい なおたかを初め、多くの寄付や献金が住民から集まった。

そして、地域が一丸となって学校の建設が進められ、年内には64の番組小学校が開校した。

国が「学制」を定める3年も前のことであった。

学制とは、日本最初の近代学校制度に関する基本法令のこと。

1872年(明治5年)に公布され、日本における近代学校の成立・発展の基礎となった。

全国に小学校をつくり6歳以上の男女が身分に関係なく通うことを目指したもので、義務教育の始まりであった。

「柳池小学校」は戦後の新学制によって「柳池中学校」となり、統廃合を経て2003年(平成15年)に「京都御池中学校」となったが、敷地内には「日本最初小学校」と記された石碑が建てられている。

日本最初小学校の石碑

小学生の頃の思い出で1番印象に残っている事は?

高校を出るまでは、家も貧しく、母が再婚のために、小さい頃は義父に虐められた記憶しかありません?・・

だから小さい頃の楽しい思い出はありませんね?・・

そんな性か思い出も封印されていて思い出すこともありませんね?・・

私の人生は18歳から動いたかもしれませんが?・・

30歳の結婚した以降しかいい思い出はありませんね?・・

義父に理不尽なことをされたのが人にやさしく接する元かもしれませんね?・・

それがまた、出世には悪いことにつながりました。

それでも人生っていいですよね。

出世しなくても人並みに生きられるだけで?・・

人生は人にやさしいだけではいけないと退職前数年は働いたときには思いましたが?・・

それが分かったのは、65歳を超えて、「少欲知足」の生き方を決めた後かもしれませんね。

今朝の血圧は、133-71、脈拍は81、血糖値は63と低血糖に?・・・・(^_-)-☆

体温は36.2℃でした。

昨日の散歩数は、10234歩でした。

また散歩を15000歩以上に修正しますね?・

今日も良い日でありますように・・(^_-)-☆

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