こんばんは・・(^-^)
今日の奈良はあまり気温が変わらず少し暖かい気もしますね。
今は11℃です。
マリア猫はうろうろしていましたが?・・(^_-)-☆
押し入れから出て、おらなくなりました?・・(^_-)-☆
また相撲ファンに戻りそう?・・
110年前の力士とは?・・
大相撲春場所で新入幕の尊富士が活躍し、110年前の新入幕優勝者として名前が挙がったのが元関脇の両国だ。
どんな力士だったのか。
秋田県出身で本名は伊藤勇治郎。
1892年3月生まれで、1909年6月の夏場所で初土俵を踏んだ。
細身ながら足腰、腕力は強く、稽古場(けいこば)では横綱・大錦も勝てなかったほどだとされる。
14年夏場所で新入幕。
毎日新聞の前身、東京日日新聞は14年5月21日の記事で、番付発表をこう報じている。
「両国、釈迦(釈迦ケ嶽)の入幕は東方に取って千人力とは行かずとも百人力位は受合也」。
大きな期待を背負った両国は東前頭14枚目で初日から白星を並べた。
8日目は対戦相手が休場し、当時の規則により自身も休場となったが、残り2日間も連勝した。
成績は9勝1休。
千秋楽を報じた6月9日の紙面には「全勝力士両国は化粧廻しと大額面の懸賞を得たるが土俵にて披露さるる時如何(いか)にも喜ばしげに微笑しつつ花嫁の如く俯向(うつむき)ゐたりき」とあった。
当時は「東方」と「西方」の対抗戦で、どちらの勝利数が多いかに重きが置かれ、優勝は「個人賞」の意味合いが強かったとみられる。
両国は後に、部屋に由緒のあるしこ名「両国梶之助」に改名。
最高位は関脇で優勝は新入幕の1回のみだった。
24年1月の春場所を最後に引退し、年寄「武隈」を襲名。
60年に68歳で亡くなった。
では、110年目の力士とは?・・(^_-)-☆
大相撲春場所千秋楽は24日、エディオンアリーナ大阪であり、東前頭17枚目の尊富士(たけるふじ、24歳)=本名・石岡弥輝也(みきや)=が13勝2敗で初優勝を果たした。
新入幕力士の優勝は1914(大正3)年夏場所の両国(元関脇)以来約110年ぶり。
日本相撲協会によると、大いちょうを結えない力士の優勝は初めて。
初土俵から所要10場所での制覇は年6場所制となった58年以降最速(付け出しを除く)で、幕尻優勝は2020年7月場所の照ノ富士以来4回目。
青森県出身の尊富士は鳥取城北高、日本大を経て元横綱・旭富士が師匠の伊勢ケ浜部屋に入門し、22年秋場所で初土俵を踏んだ。
24年初場所で新十両優勝。
年6場所制になった58年以降、幕下付け出しを除いて最速タイの所要9場所で新入幕を果たした
今場所は、60年初場所の大鵬(元横綱)に並ぶ初日から11連勝を飾った。
110年前とは方式も違うようだが、私は今の方式しか知らないので、びっくりを?・・
こんな力士がいると知ったのは、12日目ぐらいでした。
それが110年ぶりの大挙と知ってびっくりでした。
藤井8冠と同じくらいにびっくりでした。
どんどんスポーツ界は、若手に代わってきていると思います。
白鳳時代の八百長勝負と違う力士が出てきてまた大相撲を見ようと思いました。
今なおモンゴル人との戦いを打ち破って本当の勝負で頑張ってほしいと思います。
今日も良い日であります様に・・(^_-)-☆