奈良仏師から見えたもの…(*^^*) | 寒がりたー坊のブログ

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こんばんは…(*^^*)

今日はサンタ猫がご帰還3日目でやっぱり動きが可笑しくなってイオンの買い出しが遅れました?…(*^^*)



遅めの昼食ですがもう4時半を過ぎているので簡単なチャーシュウ麺にしました…(*^^*)



今晩は奈良テレビ放送のゆうドキッ❗の奈良クイズが無いので、9日の奈良まほろばソムリエの勉強会の資料を完成しました…(*^^*)



問題は、円成寺の国宝大日如来座像は、ある仏師の若き日に製作されたと言うが、それは、誰か。

答は運慶ですが、選択肢には、快慶、定朝、湛慶です…(*^^*)

回答だけの説明だけだと、テキストの円成寺を説明しても直ぐに終わりますよね…(*^^*)

東大寺南大門の金剛力士像には奈良仏師の3人は関わっていますが…(*^^*)

この寄せ木造りを完成させたのは、巨像製作を容易にしたのは京都に本拠を置く定朝なんですね。

当然に、快慶も金剛力士像の製作には関わっていますよね…(*^^*)

だけど、奈良仏師は、定朝の流れを組み、運慶の父の康慶が奈良仏師の祖で、運慶は実子で、運慶工房を継ぎ、快慶は弟子に当たるんですが…(*^^*)

ここで新たな発見を…(*^^*)

定朝が仏師として初めての僧位の法橋を1022年受けてるんですね…(*^^*)

だけど、東大寺の復興に寄与した運慶は、1203年に僧官なら大僧正に匹敵する法印と言う最高位に就くんですね…(*^^*)

さらに、重源とも久しかった快慶は、大僧都に匹敵する法眼に就いていたんですね。

僧位の位では、定朝が一番下ですが、鎌倉幕府に好まれた仏師が僧位も上がり、公家の権威が落ちた性かなあと思いました?…(*^^*)

勉強は、先生でなく、自分が成長するものだと思いました…(*^^*)

買い物から帰るとサンタ猫が愚図ついて甘えていましたが、居間の仮寝室用の布団の上で爆睡中です?…(*^^*)



寒くなってきましたので、夕食兼晩酌の準備しますね…(*^^*)

明日も良い日でありますように…(*^^*)