少なくとも、私が子供の頃、学校に行く事はマストであり、不登校は罪であった。
引きこもりなどはもっての外であったし、個人の自由などという言葉さえそれほど使われる事は無かったと思う。
私の親が学校にクレームを言いに行った事が小学校の時に1度だけあったが、それは通信簿に1がつけられた事があり、その理由が提出物を3つとも提出していない為との事だったのだが、私が泣きながら3つとも提出した事を父親に伝えた時だった。
後日、少なくとも2つは見つかり、学校側からも謝罪があったと記憶している。
それ以外で親が学校を訪れたのは、ほとんどが謝罪の為だったはずだ。(笑)
それが今では、個人の自由を謳い文句に、どうしても学校に行きたくなければ行かなくても良いとか、引きこもりは必ずしも悪い事ではないとか、色々な理由をつけては自由に行動させる事を肯定する方が多くなっているような気がする。
しかし、そんな方々はその子が成長した後、不登校によって被った不利益を補償する事ができるのだろうか?
どうように、引きこもりを続ける方の不利益はどうだろうか?
もちろんいじめなどによる被害から逃げる選択肢を与える事は必要だと思うが、それは一般的に不登校やひきこもりを良しとする事とは違うと思うのだが…。
不自由や嫌な事の中で、それでも頑張る事から社会性を身に着けていくのではないのか。
私はもはや現在の社会に適応できない人間になってしまったのかもしれないが、どうしてもこれからの未来に暗い影を感じてしまうのだ。