飯舘村に入る 2012/07/19~20 その1 | aihamalteseのブログ

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愛犬の名は「あい(♀)」、犬種はマルチーズ、2010/4/18生

 移住の段取りがあれこれあって、ブログのアップが遅れてしまった。


 アラフォーの現在まで、親元を離れたことがなかった長女ですが、私の移住に合わせて独居することになった。そこに至った一因は私の移住にあることは確かだろう。彼女の住居探しに拍車がかかり、お供してきたのでした。

結果8月18日に神戸市の東部(現在は西部)に引っ越しすることになった。

40にして立つの心境か?


 さらに奥さまの仕事の段取りが絡み、あれこれの調整が・・・。

そこんとこは、奥さま自身が解決してもらわないと私には如何ともしがたいことでして、私が、いつも訪れている福島の動物たちに心寄せて活動しているボラさんやシェルターさんのブログを参考にして、職場で移住の経緯を説明しているようだ。なんとか12月には彼女も移住してこれそうだ。


 いろいろあるが、当初の予定通り私の引っ越しは8月25日に決行あるのみ。

私の子供たち(4人います)、山の友、現役時代の元同僚、関西在住の大学同窓生等などの面々が、風のうわさを耳にして、壮行会?送別会???会と理由は何とでもこじつけて、飲み会が待っているようだ。ありがたいことです。

飯舘村でのみなさんの活動のいい宣伝の場と考え、精々気張ってお受けしようと思っている。まだまだいろいろありそうで、早く来い来い8月25日の心境です。



 私の飯舘村行きは、大概はボラさんの谷間に行くようにしている。

今回も、連休が過ぎ次の週末までの間に行くことにして、新幹線、宿、レンタカーの予約をいれる。ところが、新幹線の東京福島間が満席、宿という宿は満室。

新幹線はグリーンで対応(3000円高)、宿はラディアンさんに教えてもらっていた「やまと」がOKだった。早速役立ちました、ありがとうございます(昭和の匂いプンプンの宿でした)。


 飯舘は6月末以来である。

その時は「チラシ」配布がメインの活動だったから、ワンコのいるお宅を主に廻ったが、ニャンコのお宅が心に引っかかっていた。先週の連休に数組のボラさんたちが入っているが、その状況がわからないまま飯舘に入った。


 保健所の捕獲が始まって、放し飼いのワンコはどうなっているのか?

また、警戒区域再編後の村の「空気」は変わったのか?

等々今回の訪問のサブ目的を持って入った。もちろんメインの目的は、猛暑にさらされているワンニャンへの給餌給水である。



除染作業と汚染土壌

 除染が広範囲にあちこちで行われている。区域再編後エンジンがかかっている感じだ。

しかし、除染と言ってるが放射性物質は長い半減期があって消え去ることはない。あくまで移(汚)染だ。

保存する方法、場所も決まらず解決には程遠い。住民の皆さんは戻ってこられると期待している。現に自宅周辺の伸びきった雑草を草刈り機で刈っている光景を多く見た。今にも住みそうな感さえ受けた。26年経ったチェルノブイリの現状を考えると、道は遠いだろう。私たちの活動も当然長期戦になる。



 撮影:2012/07/20aihamalteseのブログ


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閉鎖された長泥地区


 二日目(20日)の飯舘村へのルートは、国道114号線から、川俣の山木屋から62号線の比曽坂を経由して比曽地区に入った。給餌の途中に62号線を東に向かい、比曽地区と長泥地区の境に設置されたバリケードの様子を見に行ってきた。

原発20㎞以内の警戒区域のような警察官の検問もなく、案内係の人が一人いただけであった。村発行の通行許可証か住民に知らされてある暗証番号での通行が可能と説明されていた。

 この状況に変わって、ボラ活動はどうなる? また一つ障害が増えた。

私は一度も長泥に入ったことがない。ボラさんのブログで知るのみだった。警戒区域に似た活動になるのだろうか?

取り残されているワンニャンに、新たな困難を与えることになったのは確かだろう。悔しいですね。


撮影:2012/07/20
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つづく