寒さの中、早朝に目が覚める
洗顔を済ませ、静かに耳を澄ませる。
日曜日の朝、久しぶりに、音楽番組にダイヤルを合わせる。
いつも、朝早く目が覚める習慣がつき、ゆったりと時間を過ごす。
よく音楽番組を聞いたものだ。
まだ二十歳前後、朝から晩まで、音楽が響きわたった。
なにしろ、時間を持て余し、起床の後、三食、トイレ、就寝のほかは、全く自由、というか許可さえあればの話だが、好き放題、時間を過ごせた時代だった。
数年間に及ぶ入院生活、かれこれ半世紀近く遡る貴重な経験だった。
友からは手紙が届き、楽しみのひとつとして今も続く。
彼は隣のベットにいた、当時の戦友だ。
いっとき、音信不通の時もあったが、長い付き合になる。
エピソードに、主治医の墓参りをするくらいの人で、これには私も感服した。
前の主治医は亡くなり、今は病院を継いだ院長が主治医になっている。
友も私も、すでに高齢者になった老人同士、しかし、私はまだ青春を謳歌する老人と気丈にも思っている。
いや、本気で青春時代の真っ只中と思っている。
しかし、体は着実に痛みや不自由さにさらされている。
暖房は無し、今は扇風機も役立たぬ自室で、耐乏生活ならぬ耐寒生活。
コアラやペンギンは、さぞかし困るだろう。
それにくらべれば、座布団、膝掛け毛布、綿の詰まった布団、セーターにダウンジャケットもある。
これ以上、望めば、贅沢の極みだ。
彼はどうやって冬を過ごすのだろう。
不便、不自由も甘受しているのだろうか。
自分は日本で生まれ、両親のもとで育ち、こうやってブログまで書いている。
曽野綾子さんは、日本人は恵まれていると仰っている。
人生の喜怒哀楽を除けば、私も同感だ。
さて彼は同意しれくれるだろうか。
彼は曽野綾子さんの本を沢山読んでいる。
しばらく手紙、ハガキを出せなかったが、やっといつも通り
に音信を回復できた。
友は同じ思いでいるだろうか。
気遣いの手紙の文面からも、彼の思いが感じらる。
さて、あと少しで年の終わり。
今年をどう締めくくり、収めるかは自分次第、また不祥事、失敗を、来年に持ち越さぬようにしたい。
反省と共に、気を引き締めたい。
時間は去り行くだけ、後戻りはしない。
後悔のない、生き方をしたい。
<今日の良い出来事>
今年は手紙を何通か出し、途絶えず交流を続けて行きたい。
彼の姿を思い浮かべ、少ない友との出会いと縁に、感謝したい。