運動の靴の底が剥がれる

 

今日、午前4時ごろ起床。

まだ少し肌寒い。

 

最近は起き掛けなどに、自己流の運動。

ただ、足を曲げたり、腕や足の筋肉を動かす、筋トレを少し。

 

今日も「きくち体操」から、引用。

赤い文字で語る。

「今からはじめれば、すべて間に合います。心も、体も、生き方も、すべて新しく始められます。これまで自分の体に意識を向けたことのなかった人も、まず、現実の自分を見てください。

これからも、この体しか生きるすべはないということを、心の底から思うために。」

 

さらに、続く。

「私たち人間の体は、楽して生きていけるようにはできていません。

毎日、努力をして積み重ねていくしかないのです。」

 

そうかもしれない。

そうそう楽に何でもできるわけがない。

とは言うものの、やはりさぼり癖や、横着はなかなか直し難い。

 

今日も、運動、できた事実は動かし難い、ほんの少しの成功体験。

 

さて、現代人は足を保護するためか、靴というものを履く。

当たりまえと言うかもしれない。

少し前までは、私たちは原始人だったではないか。

ほんの数千年前、一万年前、地べたに素足で立って歩いていた思う。

最近まで、アフリカの一部、アマゾンの未開に暮らす人々は、確かに裸足だった。

 

証拠のひっとつに、昔の足跡が残っていたとも言う。

直に見たことがあるわけではないが、テレビで見た覚えがある。

 

科学的根拠という訳ではないが、説得的でないと信じない人もいると思い、ここに記した。

 

ついこの間、自分の靴が歩行中に変な音が、歩くたびにペタペタと鳴る。

しばらくは無視していたが、何だか歩きにくい。

途中、靴の底を見てみた。

 

発見という訳ではないが、靴底の一部が剥がれいるようで、手で触ると確かにペロッとむける。

 

やれやれ、これが原因かと、やっと分かった。

 

自宅に帰ると、さっそく姉に話し、今後の対策を考える。

自分で修理することを考えたが、接着剤や仕方が分からない。

下手にして、履けなくしたら元も子もない。

姉と議論の末、靴屋さんに修理をお願いするのがよいとの結論になった。

 

靴屋を探すことになって、ネット時代の今日では、スマホが活躍するはずが、我が家にはそのスマホがない。

 

しかし、パソコンがあるではないかと、当たり前の事実に、多少不便さを感じたが、選択肢はそれしかない。

 

近くのデパートに依頼することに落ち着き、日にち時間を決め、出かけて行った。

いつも手慣れた場所、すぐ販売の窓口にたどり着いた。

 

そこは衣服を専門に扱う階で、本来なら扱わないところを、取次ということで、引き受けてもらった。

 

ところが、数日後、電話があって、値段が倍の2200円になると知らされ、考え込んでしまった。

 

新たに買うか、修理にを頼むか、二者択一、いろいろ考慮の末、やはりはじめの通りに決めた。

 

ここでまた、もう一足、壊れかけたシューズがあることに気づき、同時に修理を頼むことにした。

 

再度、店頭に出向き、二足分の費用を聞くと、後日電話で伝えることになった。

 

また、数日後、今度は、さらに二倍の4400円との返事に驚き、値段交渉になった。

 

理油を聞くと、技術的に難しい部分もあり、こちらも、この値段が妥当と判断し、決着した。

 

その後、一週間以上の日が過ぎ、やっとすべてが終了したと

の連絡があった。

 

果たして完成品はどうなったか、うかがうと、新品とはいかないが、見た目はもと通りの靴になっていた。

 

ここで疑問が湧いてきた。

 

なぜ、値段が倍に、二度にわたり繰り返されたかと、クレームが浮かんだが、ここは冷静に一度は合意した交渉と思い、従うことにした。

 

今は、四足になった靴を、順繰りと取り替えながら履いている。

何分、長く履き続けたいとの思いから、ローテーションを組んでの工夫となった。

 

<今日の良い出来事>

土曜日は、ラジオ、テレビと、録音、録画の番組が幾つかあり、その作業に手間が少しかかる。

たまに失敗もあるが、誰にもあることと、あまり気にしない。

ただ、反省を忘れてはいけないと自戒を込め、次回は失敗のないことを願っている。

今日はラジオドラマがあり、聞いてみたいと思っている。

2023年3月4日、午後10:00~10:50

NHK-FM

『クジラの歌を聴かせてあげる』

~“知りたい”からはじまるんだ。研究も、人生も。~