喧騒で、煩雑な出来事の連続に

 

今年の夏は、出る言葉と言えば「暑い」と出会いや手紙の挨拶での言葉に、特殊環境にいる私は辟易し、しまいには熱中症の憂き目にあうところだった。

無事に済んだが、本当はインフルエンザの疑いが濃厚で、病院に駆け込んだ。

 

二階にある自室は、建築以来クーラーは設置されていないので、毎年、真夏はシャツ、シーツなどはびしょ濡で水中に置かれた身のようで、ただ起き掛けには溺れずに済んできた。

 

毎日のように熱中症が報道され、注意を促されていた。

 

10月のはじめに入ると、長そでが必要な日もあり、季節の変わり目がはっきりと意識されようになる。

今年も中秋の名月が夜空をかざり、天皇家のめでたい出来事も想起させる。

 

免疫のせいか、時々風邪のような症状が出る。

本来、人は自然治癒力で発症には至らないか、熱などの発生で感染症にも対抗する力が備わっているはずだ。

 

しかし、今年はまた高熱に至ってしまった。

 

今回はありがたいことに、新しい発見に身の幸運と幸福感を知ることになった。

 

原因不明、不摂生か或いは寝不足か、とにかく熱にあえぐ羽目になり、病院に駆け込むことになった。

 

一応の診断の後、自宅で様子見ながらの看病を受けることになり、この時の出来事が先述の体験となって、感謝の気持ちであふれることになった。

 

最初は熱中症などを疑ったり、単なる風邪と思い込んだりと、シロウト判断で経過を見守っていた。

 

次第に熱は上昇をはじめ、風邪にしては少し変だと疑問がわき、熱中症でもなさそうだと変わっていき、最終的には医者にかかって治療を受けるべきとの結論に至った。

 

タクシーで乗り込み、診断の結果はインフルエンザが疑われるとのことで、一応の決着をみた。

 

自宅へ引き返し、熱は二日間ほど続いた。

 

姉の日頃の真面目さは分かっていたつもりだが、あまりの献身的看病にはこれまでにない感動を覚えた。

 

夜中にもかかわらず、1~2時間おきに、姉も同時に発症していたにもかかわらず、自分はさてい置いて、私に額や首に巻く熱冷ましのための冷蔵庫で冷やされた物を頻繁に交換しに、私の寝床に運んで来た。

 

こちらは姉が心配で、ご自分の分にはほとんど使わないで、しかも一昼夜動き続けて看病に明け暮れた。

 

この体験中に、姉がまるでナイチンゲールのように思えてきてしまい、姉のさらに知られざる一面を見る思いだった。

 

普段の何気ない日常からは想像できない、姉弟の絆を知らされ感動し、感謝の念で一杯になった。

 

姉に言葉で伝え、さらに胸の中で呟いた。

 

ありがとう。

日頃の不精、ごめんなさい。

 

今日の良い出来事

知りあいから、作家城山三郎氏のお話をうかがっていたが、テレビでも知ることができ、これも偶然とは思えない幸運と思えてしまった。

城山氏の詳しい歩みや、作品、人生は知りませんが、はじめて妻、容子さんとの出会いの時の印象を、妖精、天使と表現し、また容子さんを失って深い悲しみに沈む姿に、喪失感の深さを自身の家族に重ねてみて、やがて自身にも訪れる戸惑いの覚悟を思った。

ビデオで再度見てみるつもりです。