旅立った母
昨年の5月、母の納骨の日、小雨の中、最後の抱擁、お骨を胸に抱え母とのお別れの儀式を行う。
一昨年の葬儀の最中は、読経の中、遺影を見つめているとこころが静ずまりかえって行く自分を感じた。
肺炎を発症した時はまだ楽観していたが、最後に見舞った時に呼吸が尋常でない様子を見て、覚悟を決めていた。
見舞った直後、病院から電話で連絡を受け、急ぎ引き返すと母はすでになきがらに変っていた。こころの準備はできていたので、冷静に母と向き合うことができ、静かにお別れができた。
後悔が全くなかったわけではない。
自宅での介護が限界に近づき、衰弱していく母を見ながら医師の助けが必要と判断し、病院に駆け込むと、即、入院を勧められた。
介護が果たして適切にできていたのか、あとになって次第に疑問が湧いてきて自責の念にとらわれて行った。
母はいつも穏やかに床のふとんの中、愚痴ひとつ言わず、静かに横たわり、何かにこころ寄せているようだった。
私は不思議に思い、疑問をぶつけた。
「退屈に思いませんか。」
母は迷うことなく
「退屈はしないと」体で表現した。
まだ私の疑問は解消しなかったが
そうだ、母は常にこころで空想に耽っているようだと思うようになった
確かめると、やはりそうだった。
母は、幼少の頃の出来事を細かく覚えていて、尋常小学校の先生や同級生の名前をすらすらと言ってみせる。
私は驚き、すぐには信じられなかった。
しかし、幾度も様々な昔の思い出を訊ねると、私の想像を超え、容易に答えてくるのだ。
私にできる芸当ではない。
昔の人は、皆そうなのか。
そうなら、あやうく自信喪失するところだった。
ある時、母に親戚の名前を訊ねた。
予想に反して、全部の正解までは答えられなかった。
私は少し困惑した。
しかし、事実はすでに出ている。
最近の記憶は良くなかったのは、確かなようだ。
認知症らしき兆候は、少しずつ出ていたようだ。
今から思えば、日にち、誕生日、自宅の電話番号などは的確に即答できない状態になっていた。
しかし、私はあまりふさぎ込んだりしなかった。
誰でも、当たり前に年を取り、老けていき、記憶は徐々に薄れていく。
多少、寂しさや無念さはあったが、毎日、母の穏やかな姿に接していると、自然と愛おしい感情が湧いてきて、以前にもまして私自身も平静になり、母への思慕が募っていった。
介護の体験が、人を変えることもあるということだろうか。
いや、それが当然なのかもしれない。
私の場合は、介護にそれほどの困難さは感じなかった。
話しに聞くと、老々介護などの言葉があるように、厳しさのあまり地獄のような体験と表現された方もおられる。
介護体験を公表なさった有名人もおられ、その苦労、辛苦は想像を超えるものと思う。
母は、終始、文句も言わず、ただ悠然と横たわる日々で、介護の苦労は全くなかった。
幸運だったとは、素直には言い切れない。
私には一抹の不安があった。
母は、本当に何事もなく、毎日、苦しくもなく、不満もなく、しあわせに過ごしていたのだろうか。
時々、今でも反芻する時がある。
終りが近づく気配が感じられたとき、母は苦しくないのだろうかと、ふと思いが持ち上がり、目前の様子にただ無力を感じつつ、呼吸を続ける母の傍らにいた。
まだ大丈夫と判断し、病院をあとにすることにした。
それが最後の別れとなった。
病院を後にし、すぐそのあと電話で呼ばれ、急行したものの間に合わなかった。
今でも後悔の念、無念さが残るが、これも運命、成り良きと思い、どうにかこころをなだめている。
他界してからすでに一年以上がたつ。
はじめての経験が多くあり、大変な月日だった。
葬儀の時も、ただ右も左も分からぬまま臨み、人々に助けられながらどうにか行うことができた。
時に、様々な人にお世話になり、医療から介護そして葬儀、一周忌と無事に済ませ、すべて人への依存にとらわれた続けてきた自分も顧みては、安堵に満たされる奇蹟を思う。
人との会話に四苦八苦していた時分が嘘のように、電話でも話すには困らないほどに成長(?)するに至った。
入院手続き、転院手続、医師や看護師とのやり取り、初対面の人との交渉にもどうにか型通りにできるようになった。
思い出す場面がある。
円形のテーブルを囲い、4人で会議をした経験。
ソーシャルワーカー、看護師、介護士の3人の女性と対面し、入院後の母の行く末を話し合う。
日本の医療制度の問題点もあるようで、転院先を探ることがテーマだった。
何しろ学生時代は授業中、手をあげることすら全くできなかった人が、曲がりなりにも自分の言葉を表明し、話し合いの末、無事、会議を終えることができた。
多少、ドキドキした面もあったが。女性に囲まれたことは、その時が初めてだった。奥手の私が、女性と普通に会話した記念碑的日でもあったのだ。
少しずつ自信を持てるようになっていき、今では出しゃばり過ぎるきらいもあるが。
母を見送り、親は無き時を迎え、思い出の中に生きる中、自分もこの先をどう過ごしていくかが、目下の課題となってきた。
60過ぎでは遅いくらいだと叱責されるくらいだとも思うが、終末もしあわせな中で終わりたいと凡人の私は願って、生きる指針を求めてはさまよい模索する日々でいる。
自己啓発本、人生案内はじめ、日常生活の実用書までむさぼり、読書に勤しんでは、今だ迷うただ中にいる。
今日の良い出来事
一冊の本にこころ止まった。
「きょうが人生最後の人だと思って生きなさい」(小澤竹俊著、アスコム)
読むのが遅い私が、あっという間に読み終えた。
疲弊しきった自分には、清涼剤のように心地よい読後感だった。身近な人の旅立ちに接し、動かぬ体を目の当たりにして、死がずっと身近に感じられるようになった。
死への恐れからは、すでに解放されたかのようだ。
死は終わりではなく、一区切りで始まりでもあるのだと思われた。