『おしょりん』★★★
『サタデー・フィクション』★★★
『パトリシア・ハイスミスに恋して』★★★
『私がやりました』★★★
(満点は★★★★★)




11月になりました。
今年もあと2ヶ月。11月はボクの誕生月なので、なんだか落ち着かないというか(笑)。
予定もないから、自分へのプレゼントになるような映画でも観ようかな、なんて考えてます。
さぁ、今週は4本です!




『おしょりん』は、眼鏡作りに情熱を注いだ福井の人たちの物語。


明治37年、福井県麻生津村。冬になるとすべてが雪に覆われ、農作業ができなくなるような豪雪地帯のこの村に、なんとか通年の産業をと考えていたのが、庄屋の増永五左衛門と幸八の兄弟でした。
ある日のこと、地元を離れていた幸八が村に帰ってきます。大阪で働いていたという幸八が言うには、これからはメガネだと。
五左衛門はもちろん、村人たちは幸八の言葉を信じようとはしません。なぜなら、昔、幸八に勧められた羽二重の生産で、多額の損失を出した過去があるから。
「山師のようなことばかり言いおって。増永家の恥さらしが!」。
五左衛門は激しく幸八を叱責します。
ところが、五左衛門の同級生で、宮大工の末吉の娘にメガネを試させたところ、遠くがはっきり見えるようになったと。学校の黒板が見えないと沈んでいた娘の表情が、見違えるほどに明るくなったことでメガネの効用を理解した村人たちは、メガネ作りで村おこしをと一致団結します。
しかし、ことはそんなに容易くはありません。いかに裕福な庄屋と言えども、お金は底を尽き、銀行の融資も厳しくなる始末。
果たして、みんなの思いと努力は成就するのでしょうか…。


この映画のもうひとりの主人公は、五左衛門の妻むめです。
むめも良家の娘で、親の決めた相手である五左衛門と結婚したのですが、その前に幸八とも出会っていて、幸八をそんないい加減な男ではないと知っていたんですね。
事実、羽二重の失敗も、これからという時に不慮の事故でダメになってしまったもの。幸八のせいではありませんでした。
むめは、家事に育児に、メガネ事業にと、粉骨砕身、兄弟のことを支えていきます。
福井県は日本製メガネの95%を生産しているって知ってましたか?
史実に基づいて書かれた、藤岡陽子の同名小説の実写映画化。ボクらがかけているメガネも、もしかしたらその流れを汲んでいるものかもしれませんョ。★3つ。





『サタデー・フィクション』は、太平洋戦争開戦前夜の上海の7日間を描いた作品。


1941年末の中国・上海。
日本軍が勢力を伸ばす中、欧米各国、中国、そして日本の諜報部員が暗躍する”魔都“、それが当時の上海の姿でした。
12月1日、人気女優のユー・ジンが、以前、恋人関係にあったタン・ナーが演出する舞台に出演するため上海を訪れます。
というのは表向きの理由。実はユー・ジンは、幼い頃にフランスの諜報部員であるヒューバートに孤児院から助け出され、訓練を受けた敏腕の女スパイ。今回、ヒューバートからの依頼で、ある任務を請け負うことになったのです。
その任務とは、12月3日に、日本から古谷三郎海軍少佐が暗号更新のためにやってくると。どうやら奇襲作戦を企てているらしい日本軍の暗号を解読し、事前に奇襲攻撃を失敗させようというもの。
古谷の亡くなった妻は、ユー・ジンに瓜二つ。古谷を捕らえたら、自白剤を使い、妻になりすましたユー・ジンに暗号の意味を聞き出させるという、“マジックミラー作戦“が始まるのでした…。


12月7日は、日本軍による真珠湾攻撃が起き、太平洋戦争に突入した日。
その奇襲攻撃を未然に防ごうと、各国のスパイが上海でしのぎを削る7日間を、全編モノクロで描いた作品です。
虚と実というか、舞台演劇と現実をシンクロさせて見せるあたり、ロウ・イエ監督の技が光っているなと。
若干、人間関係が複雑なので、観る前に公式サイトやパンフレットで、相関図をチェックするなどしたほうがいいかもしれません。
裏と表、男と女、恋愛と諜報。運命の糸が交錯し、とにかくヒリつく1本です。★3つ。





『パトリシア・ハイスミスに恋して』は、ドキュメンタリー。


1921年、アメリカ、テキサス州フォートワースに生まれたパトリシア・ハイスミス。
アルフレッド・ヒッチコック監督作の『見知らぬ乗客』(51年)や、アラン・ドロン主演作の『太陽がいっぱい』など、数々の著作が映画化されたことでも知られる、欧米を代表する人気小説家のひとりです。
「私が小説を書くのは、生きられない人生の代わり。許されない人生の代わり」と語っているように、彼女には人には言えないもうひとりの自分がいたのです。
それは、同性愛者であること。
クレア・モーガンという偽名を使って発表した「キャロル」という小説は、レズビアンの物語。哀しい結末がお決まりだった当時の同性愛小説において、この作品はハッピーエンドが待つという珍しい結末で、話題になったそうです。
1963年にヨーロッパに移り住み、1995年、スイスのロカルノで亡くなるのですが、居住地の変更も数多く、女性と猫への愛に生きた人でもありました。
そんなパトリシア・ハイスミスの人生を、彼女と縁のある女性たちが語ります。また、テキサスに残る親族たちも、その素顔を語ります。
ボクは勉強不足でパトリシア・ハイスミスを知りませんでしたが、日本にもファンは多い小説家。興味のある方は是非。★3つ。





『私がやりました』は、1930年代のパリが舞台のユーモラスなクライムミステリー。


女優志望のマドレーヌと、新人弁護士のポーリーヌ。ふたりは仲のいいルームメイト。
家賃を数ヶ月も滞納するほどの貧乏生活でしたが、マドレーヌに千載一遇のチャンスが訪れます。それは、有名プロデューサーのモンフェランによる個別オーディション。
しかし、面接を終えて帰宅したマドレーヌがひどく落ち込んでいたので、ポーリーヌが訳を聞くと、役はもらえたものの愛人になれとせがまれ、突然抱きつかれたと。そこで抵抗し、役を断って屋敷を出てきたと言うのです。
その直後のことでした。警察がふたりの家を訪ねてきて、モンフェランが銃で殺害されたと言うのです。犯行のあった時間に邸宅を訪れていたのがマドレーヌ。有力な容疑者として、嫌疑がかけられたのでした。
これを逆手に取ったのがポーリーヌ。罪を認め、法廷で正当防衛を訴えて釈放されれば、世間はマドレーヌの味方に。そうなれば、彼女は一躍時の人になるはずだと。
収監され、裁判に臨むと、ポーリーヌの書いたシナリオを情感のこもった台詞回しで語るマドレーヌ。陪審員の心を打つ作戦は成功し、無罪を勝ち取ると、マドレーヌはパリで大人気の女優へと駆け上がり、ふたりは豪邸で暮らすまでに出世したのです。
そんなある日のこと、オデットというかつての大女優がやってきて、自分がモンフェラン殺しの真犯人だと言うのです。
彼女の口から語られる事件の真相とは?そして、オデットの出現に、マドレーヌとポーリーヌはどう対処するのでしょうか…。


マドレーヌにはアンドレという恋人がいます。彼はタイヤ販売で成功したボナール家の御曹司。ですが、父親は売れない女優との結婚には大反対。そんな時に起きた、殺人事件。
やってもいない殺人を自白し、一か八かの勝負に出るなど、設定は荒唐無稽ですが(笑)、そんな肝の座った彼女たちに比べ、男たちの間抜けなこと。
舞台は30年代のパリで、社会通念も今とは異なりますが、この物語が現代に通じるのは、強い女性が描かれているからかも。
ファッションも、街並みも、いかにも古き良きパリ。“こじゃれた”という言葉がぴったりの映画だと思います。★3つ。




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