危機の克服(中)
私の愛読書シリーズの一つ、塩野七生氏著の「ローマ人の物語」第22巻を読み終えました。
紀元69年、ローマ帝国は悪名の高い皇帝ネロが自害してから、皇帝が一年で3回も入れ替わるという、内戦と混迷の時代を送っていました。
さらにこの内乱に乗じて、ゲルマン人(現オランダ、ドイツ)のローマ補助兵により、反ローマのガリア帝国が建てられます。ローマの正規軍が補助軍に負け、ガリア帝国への忠誠を誓わせられるというローマ始まって以来の不祥事が起きました。
この事態を収拾し、内乱に終止符を打ったのが、皇帝ヴェスパシアヌスと、その協力者たちです。事態は冷静迅速に対処されていきます。
まず、反乱については、ゲルマン近隣のガリア人(現フランス、ベルギーなど)が反ローマに起たなかったため規模が広がらず、この反乱はあっという間に収拾されます。この際、元通りローマの支配下に戻れば反乱の罪は咎められない、また反乱軍に忠誠を誓った正規軍も罪に問わないという、カエサル式の寛容の精神で対応したのが功を奏しました。
寛容は優しさではなく、その方が後々の統治上有効と判断しての行動です。
さらにヴェスパシアヌスは元々ローマ出身の貴族ではなく、叩き上げの軍人であったために帝位につく正当性を得る機会が必要でした。
時に中東パレスチナでは、ユダヤ原理主義者による反ローマの紛争が起きていました。(ユダヤ戦役)ヴェスパシアヌスは皇帝ネロにこの戦争の指揮を任されていました。
(ちなみにそれに遡ること数年前、皇帝ネロの詩歌コンサートでヴェスパシアヌスは居眠りをこいてしまい、自他ともに出世の見込みは無いと言われたそうです。その上でも指揮権を任せたというのですから悪帝ネロも意外とさっぱりした人物だったのではと塩野先生は指摘しています。)
つまりヴェスパシアヌスには、ユダヤ戦争での勝利が、帝位につく正当性として必須事項となったのです。
さらに彼は皇帝の継承問題が国家混迷を招くことを見越し、自分の次には長男のティトゥスを継がせるため、ユダヤ戦役後半はこの長男に指揮をとらせ、その帝位継承にも正当性を持たせるという計算をしていました。
またユダヤ戦役と同時に、協力者の軍人ムキアヌスがローマに向かい、首都の治安回復とガリア問題を解決していきました。
結果、これらは成功し、ヴェスパシアヌスは第9代ローマ帝国皇帝の座につきます。