鉄壁を誇る当代一の城塞都市ロードス。守るのは、勇猛果敢なる聖ヨハネ騎士団。いわゆる精神的な意味での中世騎士の最後の独立した騎士団である。構成する騎士は、フランスを中心とした、イギリス、スペイン、イタリア、ドイツなどヨーロッパ各地の貴族の子弟が集まる精鋭部隊である。
対して攻めるのは、急速に中東、小アジア、北アフリカ、東ヨーロッパに領土を拡大している、大帝国トルコ。大量の大砲、地雷(敵地地下へ坑道を堀り、直下からの爆撃を与える戦法)と、これまた精鋭部隊たるイェニチェリ軍団による物量作戦。
戦闘は膠着し、ロードスの籠城開始から5ヶ月が経つ。連日の集中砲火を浴びた城壁は石塊と化し、城壁上での白兵戦が展開されるようになる。騎士団の騎士たちの戦闘力は凄まじく、物量で攻めてくるトルコ軍を撃退していく。市中にトルコ軍がなだれこみ、民間人が殺されたりしたことは無かった。日没の戦闘終了を受け、トルコ軍は大量の友軍戦死者を引っ張り帰還していく。これを射る騎士はいなかった。
しかし、ここへきてのトルコ軍君主からの降伏勧告が、まずロードスの住民の戦意喪失を招く。その内容は要約すると、騎士団員及びロードス島民が島を退去するならばトルコ軍はそれを邪魔することなく、むしろ船の用意もするというものだった。島民にはロードスに留まることも許され、信教も自由。年貢を支払えば良いということだ。
誰の命もとらないということである。トルコにとってのロードス島攻略は、周辺海域の安全を計ることこそ第一義だったのである。
降伏勧告は何度もなされていく。
聖ヨハネ騎士団団長リラダンは初めの内は断固拒否する。しかし、島民の降伏意志、増援の見込みが無いことを考慮の上、下した決定は…
聖ヨハネ騎士団は驚くことに現存するらしい。ローマ市内のブティック街の一つのビルに本部がある。武力を捨て、騎士団創設時の役目である医療の世界で現在も活躍しているそうなのだ。
宗教争いの戦争には疑問を持つが、医療はその正反対。人を生かすもの。
赤地に白十字。騎士たちが紡いだ誇りは未だ続く…
塩野七生著「ロードス島攻防記」より
素晴らしい作品でした
