「ロードス島攻防記」2 | MS-GX200のガンプラ記録

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読中本のロードス島攻防記。

戦端が開く前に、16世紀初頭に至る要塞の構え方について書かれています。

当時の一般的要塞は、薄くともなるべく高くして敵からの攻城、弓矢の攻撃を防いでいたそうです。また、城の上のギザギザの部分は人一人が弓を敵に放つ程度の狭さで設計されていました。


ところが、13世紀のトルコ軍によるコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)陥落の頃から使われ始めた大砲が、戦略、城造り、さらには国のあり方を激変させたのです。

城造りとしては、大砲の砲撃を防ぐために城壁が低くぶ厚く設計されます。ロードス島に城を構える聖ヨハネ騎士団は対トルコ戦を想定していたので、要所はこの対砲撃式の城壁を構えました。結果、当時では随一の城塞となったそうです。城壁の上の部分は大砲を構えるため、幅10メートルほどにもなったそうです。

しかし、騎士団の軍勢は500名位の騎士を中心とした数千の戦闘員。対するトルコは何万、何十万の軍勢で攻めてきます。


火薬を用いた武器の登場により、時代は少数精鋭の騎士軍団ではなく、物量重視の大軍を求めるようになっていきます。ヨーロッパの諸都市国家はより大きな単位の大国へと変貌していきます。イギリス、フランス、スペイン、ドイツなどが現国家に近い形に統一されていきます。



宗教を大義名分とした、トルコの領土拡大のための侵略戦争。堅牢な城塞を持つロードスの騎士はトルコを撃退するか?トルコからの宣戦布告はなされました。


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